公明党(こうめいとう、略称:公明、''NEW KOMEITO''、''"NK"''または''New Clean Government Party''、''"NCGP"'')は、日本の政党。
本項では分党期の公明新党(こうめいしんとう)、公明(こうめい)、新党平和(しんとうへいわ)、黎明クラブ(れいめいクラブ)についても述べる。
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日蓮正宗系の新宗教団体である「創価学会」を主な支持母体としている[「矢野氏「宗教の政治への介入、議論を」 野党有志が事情聴取 (1/2ページ)」 MSN産経ニュース、2008年6月13日。]
1961年、衆議院進出を目指し、「公明政治連盟」が結成される。1964年、「公明政治連盟」を改組し、宗教政党[島田裕巳 『創価学会』(新潮社 2004年6月20日) ISBN 978-4106100727 ]「公明党」を創立。
1969年から1970年にかけて、創価学会と公明党が自らを批判する書籍の出版・流通を阻止、妨害するために働きかけていた(「言論出版妨害事件」)ことが一般に公になり、日本国憲法で保障されている「言論の自由」を侵すものとして社会的批判を受けた。またこの問題の中で、創価学会と公明党との密接な関係が憲法に規定された「政教分離原則」に反するという批判も強くなり国会でも議論されるようになった。国会での追及が高まる中、池田大作が公明党と創価学会を制度的に明確に分離することを明言し、「国立戒壇」という表現は将来ともに使わないこと、「国立戒壇」を国会で議決することを目標にしないことなどを約束、党の綱領から「王仏冥合」、「仏法民主主義」などの用語を削減するなど、宗教色を控える方針転換を図った。また、国政選挙の候補者などにも非創価学会の候補者の擁立したり無所属の議員を入党させた。
これ以降、自由民主党と日本社会党の2大政党がしのぎを削っていた「55年体制」の中にあって、保守でも革新でもない「中道路線」の立場をとる。1973年以降、社公民を軸とする「反自民」の「中道革新連合政権構想」を提唱したが、1970年代後半に、地方の首長選では自公民の選挙協力を取るようになる。支持母体創価学会でも男子部、壮年部が自公民路線を推奨したのに対し女子部、婦人部が社公民路線を推奨するなど創価学会の内部対立も生んでいた。一方「日本共産党」とは1974年に相互不干渉を約束、「創共協定」を結ぶが1年ほどで死文化してしまう。。
長らく中道路線を取ってきたが、1990年代には政策面で保守に近づき、自衛隊の海外派遣を認める「国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律」(PKO法)制定に賛成して外交政策を転換、1993年には、38年間続いた自民党政権が終了し非自民の細川連立政権に参加、結党以来初めて与党の側につき、郵政大臣、労働大臣、総務庁長官、環境庁長官などの国務大臣のポストを得る。その後、新進党の誕生による分党期1994年12月5日 - 1998年11月7日や1998年、新進党の解散に伴う「公明党」の再結成を経て現在へ至る。1999年からは自民党(小渕内閣)の要請を受け、連立に参加(自自公政権)。その後も2009年の総選挙で小選挙区において大敗を喫し下野するまでおよそ10年間自民党と連立を組んでいた(自公保・自公連立政権)。
野党時代の1995年、「宗教法人法」改正をめぐり、池田の参考人招致を決議しようとする自民党に対し、国会でピケを張り、座り込みなどの実力行使で阻止したり2010年の第22回参議院議員通常選挙では、比例区の得票数、獲得議員数がみんなの党を下回る結果に終わり第三局としてのキャスティングボートの存在を低下させるなどしているが国会で3番目に多い国会議員数を取得している政党である。
現在の党のキャッチコピーは「いちばん近くで、動く、働く。」英字名称はNEW KOMEITOである
* 1954年
: 秋 創価学会の第2代会長戸田城聖が文化部を設置し、選挙の出馬予定者を部員に任命[朝日新聞アエラ編集部 『創価学会解剖』(朝日新聞社 2000年1月1日) ISBN 978-4022612861 ]。
* 1955年
: 11月 統一地方選挙に創価学会の「文化部」所属の信者が出馬。東京23区の区議に32人、全国で計53人が当選[古川利明 『システムとしての創価学会=公明党』(第三書館 1999年10月25日) ISBN 978-4807499229 ]。
* 1956年
: 7月 第4回参議院議員通常選挙で3名が当選。
: 8月 戸田が『大白蓮華』に「王仏冥合論」を執筆し、創価学会の政治進出を理論づける。
* 1957年
: 6月27日 大阪府警が参議院大阪地方区の補欠選挙における公職選挙法違反(買収)の疑いで創価学会本部の理事長・小泉隆を逮捕。同年7月4日には創価学会渉外部長(当時)池田大作が信者に戸別訪問を指示した疑いで逮捕、起訴される。
* 1959年
: 6月 第5回参議院議員通常選挙で6人が当選、参議院の総議席数は9議席に。
* 1961年
: 11月27日 公明党の前身「公明政治連盟」を発足。ただし、当時の公明政治連盟はあくまでも宗教法人創価学会の組織内にあった。
* 1962年
: 7月 第6回参議院議員通常選挙において9人が当選。参議院の総議席数は15議席になったことで院内交渉団体の資格を得る[大島宏之 『日本の現世宗教』(自由国民社 2002年1月10日)ISBN 978-4426619008 ]。自民党、社会党に次ぐ第三党となる。
* 1963年
: 1963年東京都知事選挙で、自民党が推薦する東龍太郎を支援。
* 1964年
: 11月17日 「公明政治連盟」を改組し、「公明党」を設立。
: 池田が『政治と宗教』(鳳書院)を出版。「王仏冥合」の理念をベースした政治論を訴える。
* 1965年
: 7月4日 第7回参議院議員通常選挙において11人が当選、参議院の総議席数は前回より5議席増の20議席に。
: 7月 和泉覚が参議院法務委員長に就任。
* 1967年
: 衆議院選挙直前に、池田が「憲法擁護」、「大衆福祉」、「安保の段階的解消」などを含む公明党の方針を公表。
: 1月 第31回衆議院議員総選挙で25議席を獲得し、衆議院に初進出。その後の党人事で衆議院議員の竹入義勝と矢野絢也がそれぞれ委員長と書記長に就任。党の比重を衆議院に重きを置くようになる。
* 1968年
: 7月7日 第8回参議院議員通常選挙で12名が当選、3議席増の23議席となるが支援団体創価学会による集団替え玉投票事件が起き学会員14名が逮捕されるなど社会問題化する。
* 1969年
: 12月 「言論出版妨害事件」を巡り、「政教一致」に対する社会的批判を受ける。
: 12月27日 第32回衆議院議員総選挙では47議席を獲得し、民社党(31議席)を抜き、社会党(90議席)に次ぐ野党第2党に躍進する。
* 1970年
: 5月3日 日本大学講堂における創価学会第33回本部総会において池田が「言論出版妨害事件」について謝罪。「国立戒壇」の教義の撤回、創価学会と公明党の役職の分離などを表明。「宗教法人創価学会文化部」としての公明党はここで幕を閉じ、組織、制度上も政党として完全に独立した新たな「公明党」が誕生した。
: 矢野が社会党書記長の江田三郎、民社党書記長の佐々木良作らと共に、社公民連合政権構想による『新しい日本を作る会』を結成。
* 1971年
: 6月27日 第9回参議院議員通常選挙において10人当選。参議院の総議席数は前回より1議席減の22議席に。
: 第一次訪中団を派遣。日中復交五原則を提案。
* 1972年
: 6月 竹入を団長とする訪朝団が朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)を訪問。北朝鮮の金日成国家主席との共同声明で、主体思想(チュチェ思想)を指針として、社会主義建設で大きな進歩をとげたことを賛美。
* 1973年
: 3月 竹入が東京都知事美濃部亮吉と会談し、都議会における与党入りに合意[朝日新聞アエラ編集部 『創価学会解剖』(朝日新聞社 2000年1月1日) ISBN 978-4022612861 ]。
: 9月 「中道革新連合政権構想」を発表、「日米安保即時廃棄」に路線転換。
* 1974年
* 第10回参議院議員通常選挙において14人が当選、参議院の総議席数は前回により2議席増の24議席に。
: 10月 創価学会と日本共産党の間で「創共協定」が締結。
* 1975年
: 7月 公表された「創共協定」に異を唱える。
* 1977年
* 第10回参議院議員通常選挙において14人当選。議席は25議席に。
* 1979年
: 民社党との公民連合政権構想に合意。
: 10月の衆院選において、公明党は57議席を得る「日本社会党」、「民社党」、「連合の会」、新自由クラブの4党と選挙協力し、自民党を過半数割れに追い込む。
: 12月 民社党と「中道連合政権構想」で合意。
* 1980年
: 1月 社会党と「連合政権構想」で合意。
: 6月22日 ハプニング解散によって初の衆参同日選挙が実施。選挙期間中に大平正芳総理が逝去、自民党が分裂ムードから融和ムードへと変わったことから参議院においては12人が当選、参議院の総議席数は前回より1議席増の26議席になったが衆議院では男子部、壮年部が推奨する自公民路線と女子部、婦人部が推奨する社公民路線との内部対立から票が伸び悩み57議席から33議席へと議席を減らす惨敗を喫した。
* 1981年
: 8月25日~8月9日 竹入を団長とする代表団が大韓民国を初訪問。大統領全斗煥をはじめ政府首脳と会談。
* 1981年
: 12月 「日米安保存続」と「自衛隊の条件付合憲」に政策転換。
* 1983年
: 6月22日第13回参議院議員通常選挙において14人が当選。参議院の総議席数は前回により1議席増の27議席に。
: 12月18日 第37回衆議院議員総選挙では58議席を獲得。
* 1984年
: 10月 自民党総裁選挙における二階堂進擁立に矢野らが協力。
* 1986年
: 再び衆参同日ダブル選挙となる。第14回参議院議員通常選挙において10人当選。参議院の総議席数は前回より3議席減の24議席に。第38回衆議院議員総選挙でも2議席減の56議席に。
: 12月 委員長に矢野絢也、書記長に大久保直彦が就任。
* 1989年
: 委員長に石田幸四郎、書記長に市川雄一が就任。第15回参議院議員通常選挙では自民党への逆風による批判票が社会党一党のみへ流れた為獲得議席は10議席。参議院全体で3議席減の21議席と議席を減らしたが選挙直後の総理大臣指名選では参院での決選投票で公明党は社会党委員長土井たか子を支持し自民党総裁海部俊樹を破る。
* 1990年
: 第39回衆議院議員総選挙では再び自民党への逆風、批判票が社会党一党のみへ流れた為公明党は45議席へと議席を減らす。
: 4月 「4野党連合政権協議」を凍結。
* 1991年
: 2月 湾岸戦争に対する90億ドルの追加支援に賛成。
: 4月 1991年東京都知事選挙において、自民党と共に磯村尚徳を擁立したが、自民党都連が推した現職の鈴木俊一に敗北[朝日新聞アエラ編集部 『創価学会解剖』(朝日新聞社 2000年1月1日) ISBN 978-4022612861 ]。
* 1992年
: 6月 PKO協力法成立に協力。
: 7月 第16回参議院議員通常選挙において一部の選挙区で初めて自民党と選挙協力を行なう(参議院一人区高知県選挙区における平野貞夫など)。また議席は3議席増の24議席へ。
* 1993年
: 8月 細川護熙日本新党党首を首班とした非自民の細川連立政権に参画し4人が入閣。
* 1994年
: 8月 羽田孜前副総理を首班とした非自民の新生党政権に5人が入閣。
: 6月 総理大臣指名選で海部俊樹支持も社会党委員長村山富市に敗北。村山内閣・自社さ連立政権の成立により野党に転落。
: 12月4日 参議院特別委員会に創価学会第5代会長の秋谷栄之助が参考人として出席。「政治に大衆の声を反映していく政治の実現を願って公明党の支援をして来た」、「政党が政権を目指すというのは当然のこと」、「政治によって何か利益を得るとか政治の力を借りて布教をするとか、自分達の宗教を国教化しようなどということは毛頭考えていない」などと述べる[第134回国会 参議院 宗教法人等に関する特別委員会 第8号 平成7年(1995年)12月4日(議事録)]。
: 12月5日 「公明党」を解散し、政党助成法に基き「公明新党」と「公明」に分党。
: 12月10日 公明新党が新進党へ合流。
* 1995年
:1995年東京都知事選挙で石原信雄を与野党相乗りで推薦したが青島幸男に敗北、同日に行われた大阪府知事選挙でも推薦候補が横山ノックに敗北
: 7月23日 第17回参議院議員通常選挙で新進党として初選挙に臨む。新進党は比例区第一党になり比例区で新進党は18人当選。選挙区でも躍進し自民党の単独過半数を阻止。
:12月29日羽田に圧勝し国民参加型の党首公開選挙(首相公選制に類似)を制した小沢一郎を首班とする影の内閣・明日の内閣発足し公明系から5名入閣
* 1996年
: 1月18日 自民党が運動方針の中に、「いま、わが国の政治にとって最も憂うべきは、宗教団体・創価学会が新進党という政党の皮をかぶって国民を欺き、政治の権力を握ろうと画策していることである」という内容を盛り込む。
: 10月20日史上初の小選挙区比例代表並立制による第41回衆議院議員総選挙で新進党は議席を減らし政権交代に失敗、最大の敗因は(池田大作レイプ訴訟に関して池田を証人喚問しようとした)自民党総務局長白川勝彦と自民党組織広報本部長亀井静香による政教分離・反創価学会キャンペーン、旧民主党結党による非自民の票割れ。しかし幾つかの選挙区で「小選挙区は人物本位」の方針により公明、創価学会は自民党候補を支援したことが明らかになる
* 1997年
: 5月 公明党議員らが新進党内に党内グループ「公友会」を設立[山田直樹 『創価学会とは何か』(新潮社 2004年4月15日)]。
: 12月27日 新進党両院議員総会で分党が決定。
* 1998年
: 1月4日 新進党から分党して新党平和、黎明クラブ(参議院議員が所属)が発足した。
: 1月6日 新進党の存続政党・小沢自由党に公明系から8人が参加
: 1月18日 公明が黎明クラブと合併し、参議院は公明に一本化される。
: 7月12日 第18回参議院議員通常選挙において9人が当選。議席数は前回と同数の22議席に。直後の総理大臣指名選で菅直人初代民主党代表を支持し小渕恵三自民党総裁を破る
: 11月7日 「公明」と「新党平和」が合流し小沢自由党結党参加の議員も加わり「公明党」を再結成
: 沖縄県知事選挙で自民党推薦の新人稲嶺恵一を推薦し、現職大田昌秀を破る。
* 1999年
: 1999年東京都知事選挙で自民党が擁立した明石康を小沢自由党都連と共に推薦も石原慎太郎に完敗。
: 10月5日 自民党と自由党の連立政権に加わり、自自公連立政権(小渕内閣 (第2次改造))が成立。続訓弘が初入閣
* 2000年
: 4月1日 連立離脱の小沢自由党から保守党が分裂し、自公保連立政権となる
: 4月5日 小渕内閣を引き継いで森内閣が成立。
: 6月25日 第42回衆議院議員総選挙で初めて与党側として選挙に臨む。議席は31議席と大きく減らしたが連立政権の過半数は維持
* 2001年
:1月6日中央省庁再編で省庁が減少。坂口力が厚生労働大臣に就任
: 4月26日 第1次小泉内閣成立。
: 7月29日 第19回参議院議員通常選挙では圧倒的な小泉フィーバーの中で議席を1議席増やす。
* 2003年
: 11月 第43回衆議院議員総選挙で初の「マニフェスト」を発表。議席は34議席となる。
: 11月19日 保守新党解散に伴い麻生内閣まで自公連立政権となる。
* 2004年
: 第20回参議院議員通常選挙では11議席を獲得。議席は24議席となる
* 2005年
: 9月11日 第44回衆議院議員総選挙(郵政選挙)では自民党に圧倒的な追い風が吹くも連立を組む公明党へは追い風が吹かず、獲得は自民党の296議席に対し公明党は31議席と逆に議席を減らした。
* 2006年
:8月15日 小泉総理が靖国神社参拝
: 9月22日 首相就任直前の安倍晋三が池田と極秘裏に東京都内の創価学会の施設で会談し、次回の参院選での公明党や創価学会の協力を要請し、池田は協力を約束したと日経・毎日・朝日・読売の各紙、『週刊文春』が詳細を報じた。
: 9月26日 安倍内閣成立。
: 9月30日 第6回公明党全国大会において、公明党代表に太田昭宏が無投票当選、幹事長に北側一雄が就任。
* 2007年
: 2月9日 公費を使って海外を視察した公明党福岡市議団が、大半の文章をウェブサイトから盗作して視察報告書を作成し提出していたことが発覚、公明党福岡市議団は報告書を翌月再提出し公費負担の視察の自粛を表明。
: 4月12日 太田が都内で中華人民共和国首相の温家宝と会談。
: 7月29日 第21回参議院議員通常選挙では公明党も自民党批判の逆風の影響を受け票が伸びず選挙区での落選を含め当選は9議席と惨敗。議席は20議席となる
: 9月26日 福田康夫内閣成立。
* 2008年
: 1月13日 太田が第44回衆議院議員総選挙にて選挙カーの給油量を水増しして申請し東京都選挙管理委員会から燃料代を不正に受け取っていたことが発覚、翌日、太田が事実を認め謝罪。
: 9月16日 公明党代表選で太田が無投票で再選。
: 9月24日 麻生内閣成立。
* 2009年
: 8月30日 第45回衆議院議員総選挙で代表の太田昭宏、幹事長の北側一雄など選挙区候補の8人が全員落選、衆議院進出以来最低の21議席の惨敗となった。
: 9月8日 臨時全国代表者会議で山口那津男の新代表就任を決定。新幹事長に井上義久を指名した。
: 9月16日 民主党中心の民社国連立政権が誕生し、9年間続いた政権与党から下野。自公連立を解消。
: 10月 参議院神奈川県選挙区補選で自民党新人角田宏子に本部推薦見送り神奈川県本部推薦で支援も敗北。
* 2010年
: 7月11日 第22回参議院議員通常選挙では9人が当選。議席は2議席減の19となり当選人数、比例での得票数も民主党、自民党、みんなの党に次ぐ4番手に後退。しかし山口と谷垣禎一総裁率いる最大野党・自民党との選挙協力が実り連立与党の過半数は阻止。
* 2011年
* 最高議決機関は党大会で代表を選出し、活動方針、重要政策、綱領及び規約の改正、予算決算など重要案件を決定する。大会が開かれていない間は代表者会議が大会の権限を代行する。国会議員は両院議員総会を作る。党の最高執行機関は中央幹事会で、代表、副代表、幹事長を置く。代表以外の主要役員は代表が指名してから大会の承認を得ることになっており、より下級の役員は上からの指名によるので、規約上は代表の権限が強い。
* 「言論出版妨害事件」以降、党組織の一定の改革もなされ、中央幹部会を議決機関の中央委員会と執行機関の中央執行委員会への分離と党大会代議員の下部からの選出等が行われた。
党員
現在は創価学会員以外でも一般党員として入党することが可能。18歳以上の者であればその国籍は問わない。
党費は年額3,000円だが、党費支払いの他に日刊『公明新聞』と月刊『公明』の2つの機関紙誌を購読することが規約7条で義務付けられている。
本部
党本部は東京都新宿区南元町の公明会館にあり、各方面・各都道府県に県本部などを持つ。「方面」とは創価学会の地域割りと同一であり。他党のように衆議院比例代表選挙区を単位としてはいない。(例えば、神奈川県が「東海道」や福井県が「関西」に分類されたりしている。)
* 2年に一度開催される全国大会で、代議員によって公明党代表が選出されることになっているが、結党以来、委員長・代表などの交代に際に対立候補が出たことはこれまで一度もない[特集/3代の業を背負った安倍新政権と公明党新体制 。『フォーラム21』2006年10月3日]。選出された代表が幹事長、代表代行、副代表などを指名。党本部の役員その他の人事については、中央幹事会で決定・承認される。
* 党の内規では「任期中に66歳を迎えない」ことを選挙における公認条件としており、事実上の定年制を設けている。しかし、過去に幹部を務めた議員を例外扱いしており、有名無実化しているとの指摘もある。
* 創設者である池田大作はこれまで、党員にも、党の役員にもなったことはない[古川利明 『シンジケートとしての創価学会=公明党』(第三書館 1999年11月20日) ISBN 978-4807499243 ]。
憲法
* 池田が、1999年に提言した「首相公選制」を2001年の参議院選挙の公約に盛り込むことを内定していたが、内閣法制局が憲法改正必要との見解を示したことを受けて、見送った。
* 憲法改正論議について、党内には改正論と慎重論の2つがあり、結局党がまとめた案は自民党や民主党とは違い憲法9条は1項、2項とも堅持し、その上で第3項を加えるという「加憲」であった。これは支持母体である創価学会の初代会長牧口と2代目会長戸田が治安維持法で逮捕され、牧口が獄死した過去があるためとされる。
安全保障
* 日米安全保障条約
: 公明党結成時の1964年においては「発展的解消」を主張。昭和40年代には「段階的解消」、「早期解消」を主張。「創共協定」締結直前の1974年1月の中央委員会では「即時解消」。「創共協定」が党内の反対を受けて空文化し始めた1975年10月には事実上の存続を認める「合意廃棄」と軟化し、1981年1月の公明党大会で、日米安保、自衛隊、原子力発電を容認することを表明した。
* イラク戦争では自衛隊イラク派遣に賛成、2007年6月には改正イラク特措法(期限を2年間延長)の成立にも賛成した。なお、イラク戦争の開戦理由となった大量破壊兵器が存在せず、アルカイーダとフセイン政権(当時)が無関係とアメリカ自身の調査で証明されたものの、イラク戦争は(開戦当時の判断としては)正しかったとしている。
* 2007年3月、太田昭宏は憲法改正について「自民党の改正案は集団的自衛権の行使を認めることが裏にあるが、われわれは集団的自衛権を認めない」と強調した。
* 2008年1月、衆議院の再議決を経て成立したアフガニスタン駐留米軍への自衛隊による給油支援を定めたテロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法(補給支援特措法)に賛成。
治安
* 共謀罪法案成立に賛成の立場をとる。2006年5月19日、自民党と共に衆議院法務委員会で共謀罪法案を強行採決する姿勢を見せていたが、採決は見送られた。
* 2005年に韓国人への観光ビザ免除恒久化を実現し、現在は全ての中国人への観光ビザ免除恒久化を目指している。尚、警察庁刑事局組織犯罪対策部発表による来日外国人犯罪の検挙状況(平成21年確定値)によれば、国籍別に見た時の中国人の占める割合は総検挙数の45.2%、総検挙人員の36.3%、刑法犯検挙数の49.2%、刑法犯検挙人員の38.2%を占め、他の外国人と比較して最も高い割合となっている。また、平成12年から21年の10年間を見た場合でも、総検挙人員における中国人の占める割合は一貫して4割程度を維持している。
外交
* 国内の政党ではいち早く北朝鮮に訪朝団を派遣している。1972年には当時の国家主席金日成と会談、北朝鮮の人権弾圧政策『主体思想』を全面的に賛美していた
* 日韓関係の発展を目指しており、日本国が韓国と領有権問題で対立している竹島に関しては、軋轢を避けるため消極的な対応しか行っていない。
* 日中善隣友好協力関係の発展を重視しており、日中関係は最も重要な2国間関係であるとしている。
福祉
* 1999年 10月の自民党自民党との連立政権参加以降、「児童手当」の制度拡充を推進。選挙のたびに児童手当増額を公約にしており、「福祉の党」としての実績をアピールする。
* 1999年 小渕内閣に「地域振興券」の発行を強く迫り、実現させるが問題点も多くTBSなどマスコミから地域振興券は公明党の失政と評価されるなど評価が分かれている。
* 2003年 党のマニフェストで、少子高齢化が進んでも現役世代の平均収入の50%以上を保証する「年金100年安心プラン」を発表もその後、年金システムが崩壊する
* 2005年 自民党とともに、介助や援助を必要としている障害者に対して、福祉サービス利用料として一律1割の負担を求める障害者自立支援法を成立させたが一部から批判もあった。
* 2010年7月に行われる予定の参院選に向けて発表したマニフェストで、うつ病や児童虐待など、日本が抱える新しい問題の解決に重点的に取り組む姿勢を見せている。また、民間・公共住宅の空家をリフォーム、非正規労働者や年金生活者などの住宅困窮者に低家賃で提供する「セーフティネット住宅100万戸供給作戦」の実施を明言している。
行政
* 国と地方の公務員の1割削減や予算の重点化・効率化による公共事業費の縮減、国家公務員の天下り管理、退職金の受給制限などを党としては提案していたが、自公連立政権で国土交通省大臣を務めた冬柴鐵三は大臣時代、独立行政法人の改革を推進する自民党の渡辺喜美行政改革担当と意見が相違し対立、野党や公明党内から冬柴に厳しい意見が出た。
* 「外国人参政権」を与えることに賛成。。
* 公明党は参議院の「法務委員長」のポストを40年以上に渡り独占している[平野貞夫『公明党・創価学会の真実』講談社 (2005年6月24日) ]。
税制
* 「特別会計」の廃止を含めた合理化を提唱。
教育
* 教育基本法改正において、「愛国心」という言葉を盛り込むことに反対した。自民党案の「郷土と国を愛し」という文言に対し、「戦前の国粋主義を連想させる」などと反対し、「郷土と国を大切にし」との表現を主張した。
人権
* 「人権擁護法案」の制定に賛成。人権擁護委員には日本人だけでなく、在日外国人が就任できるように要求している。
選挙
* 55年体制時は支持母体の創価学会男子部・壮年部が自公民路線を女子部・婦人部が社公民路線を各々が推奨し内部対立も存在したが55年体制以降は公明党へ一本化している。しかし公明党が候補者を出さない選挙区では実質自主投票である
* 連立を組む自民党との選挙協力で、自民党の候補者が自らの選挙区民に「比例は公明党へ」と呼びかけるという選挙戦術を取る事もある。
* 自公選挙協力の中、自民党候補者の後援会名簿が創価学会側に渡ったこという事実が明るみに出て自民党選挙対策関係者や支持者がショックを受けたことが判明した
* 中選挙区制の復活を提唱。1999年の自民党・自由党との連立政権合意事項の中に中選挙区制復活の余地を残す文言が盛り込まれた。
* 大阪府と兵庫県は創価学会が政界進出を目指した初期に池田大作が直接支援して当選して以降、当選を続けさせた堅い地盤があったことで「常勝関西」と呼ばれていた。
* 支持母体創価学会の学会員による電話投票依頼(通称F取り)や創価学会の会館を使用した政治活動は公職選挙法に抵触するのではないかと以前国会でも議論されているが結論は出ていない。また電話投票依頼にかかる通話料金や、候補者の選挙区へ出向き選挙運動をした際に発生したお金はすべて学会員の自己負担である。通常選挙運動で発生した料金は候補者や政党が負担しており、立候補者や創価学会員の個人負担にするのはおかしいのではと物議を醸している。
経済
* 2008年後半から深刻な状態になった日本経済に対して、ゼロ金利や量的緩和も視野に入れた金融政策や、大規模な財政出動など政策を総動員していく必要性を強調した。
創価学会との関係、政教分離問題
公明党の草創期はあくまで創価学会の所轄内にあったことや創価学会と一体となった活動がおこなわれた経緯から、憲法に定めた「政教分離原則」に反し“公明党と創価学会は政教一致”という批判がマスコミや有権者から多くあがった。1970年言論出版妨害事件に端を発した公明党と創価学会との制度的分離を明確化して以降(詳細は下記参照)も、同様の批判は根強い(日本国憲法の定める「政教分離」とは、国家の宗教的中立性を定めたもので、宗教団体の政治活動を否定したものではない、ということには留意を要する。)。
* 政教分離を明言した1970年5月3日の池田会長(当時)の 講演では、「創価学会の役職を兼任している公明党議員では創価学会の役職は段階的にはずすなど、創価学会と公明党を制度の上で明確に分離していく」、「会員個人の政党支持について、会員の自由意思には、全く干渉しない」、「選挙活動は党組織の仕事とし、創価学会は支持団体として『地域ごとの応援』をする」ことなどの方針を明らかにした。同年の党大会では政教一致を意味すると見られてきた「王仏冥合」という言葉を党綱領から削除した。
* 1993年、細川内閣発足前日に公明党が大臣ポストを獲得したと池田が発言したことで、池田が細川内閣の人事に影響力を及ぼしているのではと国会で問題となる[第129回国会 衆議院 予算委員会 第8号 平成6年(1994年)5月24日(議事録)][第134回国会 参議院 宗教法人等に関する特別委員会 第8号 平成7年(1995年)12月4日(議事録)]。
* 公明党の元委員長の竹入義勝は1998年9月、『朝日新聞』に連載した回顧録、『秘話・55年体制のはざまで』において、「公明党・創価学会の関係は環状線で互いに結ばれているのではなくて、一方的に発射される放射線関係でしかなかったように思う。」、「委員長を引き受けるときから人事権は(創価)学会にあると、明確にされていた」、「公明党は財政、組織の上で創価学会に従属していた。」などと述べた。この連載の直後、機関紙「公明新聞」で『竹入義勝の謀略と欺瞞』と題する連載で反論と竹入批判を始めた。
* 羽田内閣で総務庁長官を務めていた公明党委員長の石田幸四郎は国会で、公明党の最高人事は池田名誉会長の意向、指示で決まるのかとの質問に、「公明党の人事は公明党でやっており、池田からの指示はない」、「人事、政策というのは党大会を通して決める」と答弁した。
* 内閣法制局は「政教分離原則は宗教団体が政治的活動をすることを規制しているものではない」旨の答弁をしている。
* 選挙期間になると、創価学会信者が組織的に選挙活動に動員され、創価学会の関連施設が活用されることに対し、国会で幾度か問題視されたことがある[第128回国会 衆議院 予算委員会 第4号 平成5年(1993年)10月6日(議事録)]。
* 1999年7月12日、自民党官房長官(当時)、野中広務が「公明党は政教分離した政党として脱皮しつつある」と記者会見で発言。
* 池田は、マハトマ・ガンディーらなどの言葉を引用し、「政治と宗教が切り離されてしまえば、政治は壊れていく。」という趣旨の言葉を発言している。
* 2007年10月16日の参議院予算委員会で、民主党の石井一議員が公明党と創価学会が表裏一体ではないかと指摘、石井議員の発言では元公明党所属の議員から得た情報として国政選挙で公明党議員が当選した場合、衆議院議院は300万円、参議院議員は600万円の献金がなされると発言、その献金がどこへ入ったかは不明になっているとも指摘。公明党議員等からの創価学会への献金(P献金)や公明党の歴代の代表が結党以来40年以上にわたり投票が行われず毎回無投票で決まっていたことについても言及。首相に意見を求めたところ公明党議員が石井議院に詰め寄り国会審議や速記が数回にわたりストップする事態となる。また創価学会の関連施設で法敵菅直人が来たなどという政治的活動が行われていたとも指摘。証拠となる録音テープを予算委員長に提出した。代表で答弁した山口那津男議員は質問に抗議、冬柴大臣もは「P献金」「創価学会関連施設での政治的活動」をともに否定した[第168回国会 参議院 予算委員会 第2号 参議院、2007年10月16日(議事録)、参議院インターネット審議中継での動画]
* 2010年7月11日に放送された池上彰の選挙スペシャルでは支持母体、支援団体、組織票という観点から創価学会と公明党について放送(自民党、民主党や国民新党の支持母体や組織票についても同時に放送)した。また池上は公明党山口代表への質問の中に「創価学会の中には管さん(首相)や仙谷さん(官房長官)を嫌っている方がいるから民主党との連立を組むことはないのでは」と言及。山口代表は民主党との連携は否定し「政治は政治として我々が分離して行っている」と発言。政教分離の原則を守っている旨を発言した。
定年制度と公認料の問題
公明党は独自に66歳定年制度を導入、任期中に66歳を超える場合は党として公認しないというスタンスを取っている。。しかし過去に重要ポストに就任した人間を例外として扱っているため制度が有名無実化しているとの指摘もある。創価学会婦人部、女子部幹部や公明党幹部からは例外を認めると若手政治家の育成が滞り党の規約が空洞化してしまう危険性が指摘され例外を認めないよう意見も出ている。
立候補の際、公認料は通常政党から立候補者へ支払われるものであるが公明党のみ立候補者が公明党に公認料を収めている。これは2007年10月16日参議院予算委員会で当時大臣であった冬柴鉄三が民主党石井一の質問に対し「立候補者は(公明)党に公認料として2カ月分の議員報酬を収めている」と発言したことから公になるが国会の場で公認料のお金の流れ等は議論がなかった。実際、公職選挙法には公認料についての記載はなく、公認料を政党から候補者へ渡しても、逆に候補者が政党へ収めても、法律上特に問題はない。
フェミニズム男女共同参画勢力との関係
公明党は近年、フェミニズム男女参画勢力との関係を強めている。内閣府男女共同参画局や各自治体の男女共同参画課の施策に対して、予算を獲得することに主導的な役割を果たしており、連立政権を組んでいた自民党に対しても、フェミニズム関連予算の増額を要求していた。また政策においても、夫婦別姓や年金分割化の法制化の推進、女性専用車両の導入などを推し進めてきた。も内閣府男女共同参画局や各省庁からの出向メンバーによるフェミニズム関連の政策を強力に後押ししている。さらに、人権擁護法を同和関係者やフェミニズム勢力と合同起草した経緯があり、その法案成立に向けて画策していた。
マニフェストと実際の政策の矛盾
公明党は「福祉の党」を自負しており、子供・女性・高齢者・在日韓国・朝鮮人の福祉の充実に力を入れている。また、環境対策もマニフェストの中に掲げている。ところが、新聞等の投書でもよく取り上げられる道路特定財源を福祉に使うべきとの意見には公明党は腰が重い。それどころか、世界金融危機後の景気刺激策として自民党とともに高速道路土休日1000円乗り放題を打ち出し2009年3月に決定したが、これは渋滞の激化を助長させ公共交通機関からマイカーへのシフトを促しCO2排出を増大させる可能性のあるものであった。更に追加の景気対策として高速道路建設拡大を打ち出しており更なるモータリゼーション進展を狙っている。それに対して、鉄道をはじめとする公共交通機関の整備は党としては消極的で、女性専用車両の導入を推進したことくらいであり、今後の交通政策でも党としては公共交通機関の整備が軽視された形になっており、子供や高齢者に多い交通弱者への配慮が欠けた形となっている。これは連立を組んでいた自民党とのパイプ役に道路族のドン・古賀誠がいる事と、国土交通大臣に北側一雄、冬柴鉄三を選出しておりその権益の為、国土交通省には口出ししにくい点が挙げられる。官僚の天下りは『公明党』としては反対の姿勢を貫いているが閣僚だった冬柴鐵三から天下りを容認する意見が繰り返し出たりしたため党の方針と閣僚の意見とが一致していないため矛盾との声があった。そのため衆議院の予算委員会で同じ公明党の富田茂之議員が冬柴鐵三国土交通大臣(当時)へ「官僚の天下りに対して追及する民主党議員の行動は正しい!」などと追及された。現在は自民党とともに下野しており再び党として官僚の天下りは反対の姿勢を貫いている。また、「ムダづかいの排除」もマニフェストに挙げているが、実際には前述の通り男女共同参画関係には巨額の予算を費やしており、その証拠に全国各地にシティホテル顔負けの設備である男女共同参画センターが相次いで建てられた(例:ウィルあいち(愛知県の男女共同参画センター)など)。マスメディアもそのムダづかいについては公明党に遠慮してかほとんど報じられることはない。また、自公政権後は地域振興券やフェミニズム関連予算そして高速道路料金大幅引き下げなどバラマキ重視の姿勢、またこれらの政策を自民党に受け入れさせる為のバーターとして自民党が進める公共工事を受け入れた結果、国の借金は1998年の約408兆円に対して2008年は約607兆円と約1.5倍にも膨れ上がった。その一方で、サラリーマンへは上記の財源を確保するためか冷遇路線が多く、健康保険の本人負担増(2割" target="_blank">→ 3割)を実施させ、サラリーマンに対する増税への支持、さらにはホワイトカラーエグゼンプションの支持を表明してきた。また、過労死や自殺の問題についても経済問題から与党経済政策への批判に跳ね返るのを恐れて公明党は大きくは取り上げなかった。そして女性を優遇し男性サラリーマンに対しては冷遇を続けてきた結果、ついに週刊現代2010年3月6日には「夫に早く死んでほしい妻たち」と言った男性の人格を完全否定するような記事までが掲載された。
勲章辞退
週刊実話によれば、創価学会池田名誉会長が日本国内の勲章を一つも授与されていないことから、公明党に所属した国会議員は党首経験者や閣僚経験者を理由に日本国内の勲章受賞リストに名前が挙がった段階で、池田に配慮し自ら受賞を辞退するという慣習が存在していた。また同様の内容が週刊新潮、週刊文春の週刊誌に掲載された。
ただし、公明党・創価学会と対立した場合は別で、委員長経験者である竹入義勝(1996年・旭日大綬章を受章)や矢野絢也(2010年・旭日大綬章を受章)は受章している。週刊実話の記事はこの受賞に対し支持母体創価学会では「恩知らず」「裏切り者」という罵詈雑言が起こっていると掲載した。
世襲に対する考え方
公明党は国会議員の世襲には反対の立場をとっている。創価学会という支援団体がいることもあり自民党や民主党より世襲議員は少ないが北側一雄元幹事長や池坊保子議員(非創価学会員)のように世襲の国会議員はいる。
批判本の掲載について
2000年夏、東京都内の公明党所属の区議会議員が区議会において、公明党と創価学会の批判を載せている雑誌の排除を要求していたことが明らかになり問題となる。大田区議会では2001年3月13日、「週刊誌は人のことを中傷している」、「私は不愉快だから何とかしてもらいたい」として「『週刊新潮』、『週刊文春』、『文藝春秋』を大田区の全図書館から排除してもらいたい」と要求した。中央区では、同年3月の区議会で、区立図書館に公明党と創価学会を批判した本が多数あることに言及し、図書の選定を問題にし、「図書館の職員の適切な人事異動をしていただきたい」と要求した。4年前の1997年3月7日にも別の公明党の区議が区議会で「図書館、区の施設、待合室、ロビーなどに置いてある暴力的、人権侵害の週刊誌はき然として排斥するべきだ」と求め、中央区は出版社系雑誌の購入を止め、雑誌コーナーを失くしていた。
2006年現在の政党交付金
* 公明党 28億5,800万円
* 創価学会:政府は政教一致ではないという認識で一致している。歴代の内閣総理大臣も「宗教団体又は宗教団体が事実上支配する団体が、政治的活動をすることをも排除している趣旨であるとは考えていない」「政教分離は宗教法人の政治的活動を排除する趣旨でない」等と答弁しているが過去数度にわたり創価学会員による大きな選挙違反事件『大阪事件_(創価学会)』や『新宿替え玉事件』が発生したことや選挙のたびに行われる公明党への投票依頼行為(通称F取り)や創価学会施設内で政治的活動を行っていると民主党議員から指摘されていたことから創価学会に批判的な人間の間では『政教一致』という見方をされている
* 公明党結成当時、自治省は違反をしないクリーンな選挙を「公明選挙」という言葉で呼びかけていたが、公明党の結成によりこの言葉の使用を控えるようになったといういきさつがある。
* 党のホームページにおける「選挙速報」で、まず公明党候補者の当選を伝えた後、日本共産党の議席が増加または現状維持の場合は何も触れずに前回選挙時との各党派別当選者を単に伝えるが、共産党の議席が減少した場合は「共産は1議席減らした。」「共産は議席を失った。」と伝える。
代表||代表||全国代表者会議 議長||副代表||幹事長||政務調査
会長||国会対策
委員長||参議院
議員会長||参議院
幹事長
山口那津男||山口那津男||太田昭宏||坂口力、草川昭三、北側一雄||井上義久||石井啓一||漆原良夫||白浜一良||木庭健太郎
* 細川護煕内閣
** 郵政大臣・神崎武法
** 労働大臣・坂口力
** 総務庁長官・石田幸四郎
** 環境庁長官・広中和歌子
* 羽田孜内閣
** 運輸大臣・二見伸明
** 郵政大臣・日笠勝之
** 建設大臣・森本晃司
** 総務庁長官・石田幸四郎
** 科学技術庁長官・近江巳記夫
** 環境庁長官・浜四津敏子
* 小渕恵三内閣・第1次森喜朗内閣
** 総務庁長官・続訓弘
* 第2次森喜朗内閣
** 総務庁長官・続訓弘
* 第2次森喜朗内閣改造内閣(中央省庁再編前)
** 厚生兼労働大臣・坂口力
* 第2次森喜朗内閣改造内閣(中央省庁再編後)・第1次小泉純一郎内閣
** 厚生労働大臣・坂口力
* 第1次小泉純一郎内閣第2次改造内閣
** 厚生労働大臣・坂口力
* 第2次小泉純一郎内閣
** 厚生労働大臣・坂口力
* 第2次小泉純一郎改造内閣・第3次小泉純一郎内閣
** 国土交通大臣・北側一雄
* 第3次小泉純一郎内閣改造内閣
** 国土交通大臣・北側一雄
* 安倍晋三内閣・福田康夫改造内閣
** 国土交通大臣・冬柴鐵三
* 福田康夫改造内閣・麻生内閣
** 環境大臣・斉藤鉄夫
衆議院
選挙||選挙||当選/候補者||定数||備考
(結党時)||(結党時)||0/-||style="text-align: right;"|467||
第31回総選挙||第31回総選挙||○25/32||style="text-align: right;"|486||
第32回総選挙||第32回総選挙||○47/76||style="text-align: right;"|486||
第33回総選挙||第33回総選挙||●29/59||style="text-align: right;"|491||
第34回総選挙||第34回総選挙||○55/84||style="text-align: right;"|511||追加公認+1
第35回総選挙||第35回総選挙||○57/64||style="text-align: right;"|511||追加公認+1
第36回総選挙||第36回総選挙||●33/64||style="text-align: right;"|511||追加公認+1
第37回総選挙||第37回総選挙||○58/59||style="text-align: right;"|511||追加公認+1
第38回総選挙||第38回総選挙||●56/61||style="text-align: right;"|512||追加公認+1
第39回総選挙||第39回総選挙||●45/58||style="text-align: right;"|512||追加公認+1
第40回総選挙||第40回総選挙||○51/54||style="text-align: right;"|511||追加公認+1
第41回総選挙||第41回総選挙||●42/51||style="text-align: right;"|500||新進党での選挙
第42回総選挙||第42回総選挙||●31/74||style="text-align: right;"|480||
第43回総選挙||第43回総選挙||○34/55||style="text-align: right;"|480||
第44回総選挙||第44回総選挙||●31/52||style="text-align: right;"|480||
第45回総選挙||第45回総選挙||●21/51||style="text-align: right;"|480||
参議院
(参考文献:石川真澄(一部山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)
* 当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属を含む。
* 第4回、5回参議院通常選挙は、結党前で創価学会組織内無所属の実績。
* 第6回参議院通常選挙は、「公明政治連盟」の実績。
* 第17回、18回参議院通常選挙は、「公明」の実績。
* 『戦後政治史』にない追加公認は2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院、2003年まで)1 各会派所属議員数及び役員一覧(衆議院、2005年)、(2) 参議院(2002年まで)(2) 参議院(2004年まで)にある、選挙直後の国会召集日の会派所属者数から判断した。ただし、第20回通常選挙直後の召集はない。
選挙||選挙||当選/候補者||非改選||定数||備考
第4回通常選挙||第4回通常選挙||○3/6||style="text-align: right;"|-||style="text-align: right;"|250||
第5回通常選挙||第5回通常選挙||○6/6||style="text-align: right;"|3||style="text-align: right;"|250||
第6回通常選挙||第6回通常選挙||○9/9||style="text-align: right;"|6||style="text-align: right;"|250||
(結党時)||(結党時)||15/-||style="text-align: right;"|-||style="text-align: right;"|250||公明党改称時
第7回通常選挙||第7回通常選挙||○11/14||style="text-align: right;"|9||style="text-align: right;"|250||
第8回通常選挙||第8回通常選挙||○13/14||style="text-align: right;"|11||style="text-align: right;"|250||
第9回通常選挙||第9回通常選挙||●10/10||style="text-align: right;"|13||style="text-align: right;"|252||
第10回通常選挙||第10回通常選挙||○14/45||style="text-align: right;"|10||style="text-align: right;"|252||
第11回通常選挙||第11回通常選挙||○14/15||style="text-align: right;"|11||style="text-align: right;"|252||
第12回通常選挙||第12回通常選挙||○12/14||style="text-align: right;"|14||style="text-align: right;"|252||追加公認+1
第13回通常選挙||第13回通常選挙||○14/23||style="text-align: right;"|13||style="text-align: right;"|252||
第14回通常選挙||第14回通常選挙||●10/21||style="text-align: right;"|14||style="text-align: right;"|252||追加公認+1
第15回通常選挙||第15回通常選挙||●10/22||style="text-align: right;"|11||style="text-align: right;"|252||
第16回通常選挙||第16回通常選挙||○14/23||style="text-align: right;"|10||style="text-align: right;"|252||
第17回通常選挙||第17回通常選挙||○13/0||style="text-align: right;"|11||style="text-align: right;"|252||(新進党57と統一会派で同改選期を議席維持)
第18回通常選挙||第18回通常選挙||●9/20||style="text-align: right;"|13||style="text-align: right;"|252||公明、追加公認+2
第19回通常選挙||第19回通常選挙||○13/22||style="text-align: right;"|10||style="text-align: right;"|247||(改革クラブ1と統一会派)
第20回通常選挙||第20回通常選挙||○11/20||style="text-align: right;"|13||style="text-align: right;"|242||
第21回通常選挙||第21回通常選挙||●9/24||style="text-align: right;"|11||style="text-align: right;"|242|| (後に繰り上げ当選により+1)
第22回通常選挙||第22回通常選挙||●9/24||style="text-align: right;"|11||style="text-align: right;"|242||
地方政治
* 所属議員:2,998人(2010年11月現在)
** 都道府県議会:208人
** 政令市議会202人
** 特別区議会:192人
** 一般市議会:1,949人
** 町村議会:447
* 推薦議員13人(2010年11月現在)
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