民主党(みんしゅとう、)は、日本の政党。略称は「民主」。民国連立政権の政権与党であり、衆議院・参議院の両方において第1会派を形成している。
キャッチコピーは、小沢一郎が考案した「国民の生活が第一。」と菅直人が考案した「元気な日本を復活させる。」
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1998年4月、院内会派「民主友愛太陽国民連合」(民友連)に参加していた旧民主党・民政党・新党友愛・民主改革連合が合流して結成された。法規上では、1998年に旧民主党が各党を吸収したという形をとっており、1996年結成の旧民主党が存続ということになっている。
結党時には保守中道を掲げる旧民政党系と中道左派を掲げる旧民主党系が対立した結果、党の基本理念を「民主中道」とすることで落ち着いた。
なお、2001年に党内左派から社会主義インターナショナルに加盟すべきという提案がなされたこともあるが、当時の代表である鳩山由紀夫は「左派というのは民主党のコンセンサスではない」と反対し、頓挫した経緯がある。
自民党は1955年の結党以来、国政選挙の選挙区の公認候補の当選を47都道府県全てで経験しているが、民主党は1998年の結党以来、いまだ福井県・島根県・宮崎県の3県で国政候補の当選を果たせていない。
衆参の選挙区で同党が独占している都道府県は現在では岩手県・山梨県・滋賀県の3県だけである。
*1996年
**9月29日 - 新党さきがけを離党した菅直人厚相、鳩山由紀夫元官房副長官らと社会民主党を離党した岡崎トミ子衆院議員らが中心となり、民主党の前身にあたる旧民主党を結成。旧民主党は当時の与党だった社会民主党、新党さきがけを離党した議員が大半を占め、野党第二党だった。
*1998年
**3月12日 - 民主党・民政党・新党友愛・民主改革連合の4党が合流し、新しい民主党の結成を決定。手続き上は『民主党以外の参加政党を解散し、民主党を存続政党』とした。細川護熙が政権戦略会議議長として主導。
**4月27日 - 民主党結成(赤坂プリンスホテルで統一大会)。所属国会議員131人(衆議院議員93人、参議院議員38人)で発足。初代党代表には菅直人元厚相が就任。野党第一党になった。
**7月 - 第18回参議院議員通常選挙で現有を上回る27議席を獲得。他の野党とともに自民党を過半数割れに抑える。橋本内閣総辞職に伴う国会の首班指名では、参議院は菅代表を指名。
*1999年
**1月 - 党代表選が行われ、現職の菅直人代表と松沢成文衆院議員との一騎打ちに。菅が再選。
**4月 - 統一地方選挙。道府県議選で170議席、政令指定市議選では114議席を獲得。
**9月 - 党代表選が行われ、リベラル系が菅直人代表、保守系が鳩山由紀夫前幹事長、旧社会党系が横路孝弘総務会長を擁立。鳩山が初当選。
*2000年
**6月 - 第42回総選挙で、解散前を32議席上回る127議席を獲得。
**9月 - 鳩山代表が無投票で代表再選。
*2001年
**7月 - 第19回参議院議員通常選挙で現有を上回る26議席を獲得も小泉旋風を前に比例票は伸び悩む。
*2002年
**9月 - 鳩山由紀夫代表の任期満了に伴い党代表選が実施される。鳩山代表、菅直人幹事長、野田佳彦衆院議員、横路孝弘元総務会長の4人で争われ、鳩山が三選。この代表選でははじめて党員・サポーターも投票に参加した。
**11月 - 鳩山代表が自由党との合併問題で引責辞任。翌月、党代表選が行われ菅直人前幹事長と岡田克也前政調会長の一騎打ちに。菅が当選。
**12月 - 熊谷弘前副代表、佐藤敬夫前国対委員長ら5名が離党、与党・保守党と合流し、保守新党を結成。
*2003年
**4月 - 統一地方選挙、道府県議選で205議席、政令指定市議選では126議席を獲得。
**7月23日 - 菅代表と自由党の小沢一郎党首が民主党と自由党の合併で合意。合併後も民主党の党役員・規約・政策を継承する吸収合併の方式をとった。
**9月26日 - 自由党を吸収合併し、所属国会議員は204人(衆院議員137人、参議院議員67人)となる。翌月5日、合併党大会を実施。
**11月 - 第43回総選挙で自由党との合併効果もあり、解散前議席を大きく上回る177議席を獲得して躍進。比例区の得票は自民党を上回る善戦。
*2004年
**5月 - 菅直人代表が、社会保険庁の過失により自身の年金納付に未納期間が発生していることから、責任を取って代表を辞任。岡田克也幹事長が無投票で代表に選出される。
**7月 - 第20回参議院議員通常選挙で自民党の獲得議席49を上回る50議席を獲得。
**9月 - 岡田代表が無投票で代表再選。
*2005年
**9月11日 - 第44回総選挙で解散前を大きく下回る113議席で惨敗する。敗北の責任を取り岡田克也が代表を辞任。
**9月17日 - 党代表選で若手の前原誠司衆院議員が菅直人元代表を2票差で破り、代表に就任。
*2006年
**4月 - いわゆる堀江メール問題に関連して前原代表が引責辞任。党代表選が行われ、小沢一郎元代表代行が菅直人元代表を破り、代表に就任。
**9月 - 小沢代表が無投票で代表再選。
*2007年
**4月 - 統一地方選挙。道府県議選と政令指定市議選で前回選挙を大きく上回る議席を獲得。道府県議選375議席(前回比+170)、政令指定市議選194議席(前回比+68)。
**7月29日 - 第21回参議院議員通常選挙で60議席を獲得。自民党結党以来、非自民政党として初めて参議院で第1党となり、初めて非自民の参議院議長・江田五月を選出した。
**9月 - 安倍内閣総辞職に伴う国会の首班指名では、参議院が小沢代表を指名。
*2008年
**8月 - 渡辺秀央参院議員ら2名が離党。改革クラブを結成。
**9月 - 小沢代表が無投票で代表三選。同月の福田内閣総辞職に伴う国会の首班指名では、参議院が小沢代表を指名。
*2009年
**3月 - 小沢代表の公設第一秘書が、西松建設事件について、政治資金規正法違反で逮捕・起訴される。
**5月11日 - 小沢一郎が、西松献金問題による党の支持率低下で党内が動揺したことを受け、挙党体制確立のために代表を辞任。
**5月16日 - 党代表選が実施され、鳩山由紀夫幹事長と岡田克也元代表の一騎打ちに。鳩山が当選。
**7月12日 - 東京都議会議員選挙で54議席(定数127)を獲得し、都政で初めて第1党に躍進。
**8月30日 - 衆議院議員総選挙で絶対安定多数を上回る308議席を獲得。第1党に躍進。
**9月16日 - 国会の内閣総理大臣指名選挙で鳩山由紀夫代表が指名され鳩山由紀夫内閣が発足。
*2010年
**6月4日 - 鳩山由紀夫内閣が総辞職。党代表選挙が実施され、菅直人副総理と樽床伸二衆院議員の一騎打ちに。菅が代表に当選。衆参の首班指名を受ける。
**6月8日 - 菅内閣が正式に発足。
**7月11日 - 第22回参議院議員通常選挙で、改選の54議席を下回る44議席獲得に留まり、敗北。改選議席のみでは第二党となった。
**9月14日 - 菅直人代表の任期満了に伴う党代表選が実施される。菅と小沢一郎元代表の一騎打ちに。菅が再選。8年ぶりに党員・サポーターが投票に参加する代表選挙となった。
**9月17日 - 菅直人首相が内閣改造を断行し、菅第1次改造内閣が発足。同時に党執行部を刷新。
*2011年
**1月14日 - 菅直人首相が内閣改造を断行し、菅第2次改造内閣が発足。
**2月17日 - 小沢一郎元代表に近い衆院議員16名が院内会派離脱願を岡田克也幹事長に提出し、民主党籍を残したまま新会派民主党政権交代に責任を持つ会を結成しようとするも、党執行部は会派離脱届けを受理せず、説得に当たるとしている(同年8月31日に会派離脱届けを撤回)。
**8月26日 - 菅直人首相が代表辞任を表明し、新代表が選出された後に総理大臣の職を辞することを表明。
**8月29日 - 党代表選挙が実施され、史上最多となる前原誠司前外務大臣・馬淵澄夫前国土交通大臣・海江田万里経済産業大臣・野田佳彦財務大臣・鹿野道彦農林水産大臣の5人が代表選に出馬。海江田と野田の決選投票に至った結果、野田が代表に当選。
**8月30日 - 菅2次改造内閣が総辞職。野田佳彦代表が衆参両院で首班指名を受ける。
**9月2日 - 野田内閣が正式に発足。
結党の背景
1980年代の後半からリクルート事件などを契機として政治とカネのあり方が問われ始めると、小沢一郎や後藤田正晴らを中心に自民党内の一部で小選挙区制と政党交付金の導入を主張する政治改革の機運が高まっていった。これには政権交代可能な二大政党制を実現させ、中選挙区制によって馴れ合いに陥っていた(小沢談)55年体制を打破するという目的があった。
小選挙区制への移行は短期的には最大政党の自民党に有利なものであったため、野党は一斉にこれに反発する。一方で自民党内でも、将来的に政権から転落する可能性が高まることや特定団体からの組織支援効果が薄まることなどから反対論が相次ぎ、海部内閣では政治改革四法は廃案に追い込まれた。
1993年、宮沢内閣でも法案が否決されるに至って党内の対立は決定的となり、小沢一郎、羽田孜、鳩山由紀夫、岡田克也ら改革推進派は内閣不信任案に賛成票を投じて自民党を離党する。宮沢は衆議院の解散を選択して第40回衆議院議員総選挙に踏み切るも、自民党は政権から転落。この選挙では枝野幸男、前原誠司、野田佳彦、小沢鋭仁ら、後に民主党の主要メンバーとなる議員が政治改革を訴えて新党から多数初当選を果たしている。
この選挙の結果、小沢、羽田らは、8党派連立による非自民・非共産連立政権を樹立、政治改革四法を成立させた。しかしその後は政党間による対立が表面化し、約一年ほどでこの連立政権は崩壊した。
翌1994年、小沢や羽田、岡田らは新進党を、鳩山、菅直人らは新党さきがけを結党する。この二つの政党に社民党右派議員を加えたものが、現在の民主党のおおまかな源流となる。
結党、黎明期
1996年9月、新党さきがけを離党した鳩山由紀夫、菅直人らと社民党の右派議員、ほか鳩山邦夫らが集い、「官僚依存の利権政治との決別」「地域主権社会の実現」を標榜して旧民主党を結党。両院合わせて57名での船出であった。翌月に控えていた第41回衆議院議員総選挙を横ばいの議席で乗り切り、翌1997年には菅直人が党代表に、鳩山由紀夫が幹事長にそれぞれ就任して党の体制が整えられた。
一方の新進党は同じ総選挙で政権獲得はおろか議席を減らすという敗北を喫していた。党の求心力は急激に衰え、1997年12月、党の再生が困難だと判断した小沢は、新進党の解党を宣言する。自民党に復党、合流する議員が更に多数出る中、小沢を中心とする自由党にも公明党にも与しない形で野党に留まる勢力があった。
旧民主党はこれら民政党・新党友愛・民主改革連合と1998年1月に院内会派「民主友愛太陽国民連合」(民友連)を結成し、合流に向けた協議を進める。旧民主党の枝野幸男、民政党の岡田克也、新党友愛の川端達夫らが基本理念をまとめる協議にあたり、合意に至る。4月27日、ここに現在の民主党が誕生した。手続上は他政党が解散し、民主党に合流した形となった。
新民主党は、「行政改革」「地方分権」「政権交代」を掲げ、自民党に代わる政権政党となること、二大政党時代を作り上げることを目指すとした。「生活者」「納税者」「消費者」の代表という立ち位置、「市場万能主義」と「福祉至上主義」の対立概念の否定などを結党時の基本理念に掲げている。
この年の参院選では、大型公共事業の抜本的見直しや地方分権の推進などを訴え、10議席増の27議席を獲得する。しかし、当時衆議院で単独過半数の回復に成功していた自民党と比して、この頃の民主党を二大政党の一角と見る動きはまだ少なく、あくまでも最大野党という位置付けが一般的であった。
1999年9月、代表選挙で菅直人を破った鳩山由紀夫が代表に就任する。
党勢拡大、二大政党へ
2000年6月の第42回衆議院議員総選挙で、定数削減があったにも関わらず改選前の95議席を大きく上回る127議席を獲得、二大政党時代の到来を宣言する。とは言え、自公保政権は引き続き安定多数を維持しており、与党を過半数割れに追い込むという狙いは達せられなかった。この選挙では、現行消費税の年金目的税化、扶養控除の廃止と児童手当の金額倍増などが公約に盛り込まれた。
2001年4月、小泉政権が公共事業改革や分権改革を推し進める聖域なき構造改革を掲げて発足する。これらの改革は民主党の政策と共通するものを含んでいたため、鳩山は小泉に対し「協力することもやぶさかではない」という姿勢も見せ始めるようになる。以後、小沢が代表に就任する2006年までは、改革の速度や手法を競う「対案路線」で与党と対峙することになる。
7月の参院選では小泉旋風の前に4議席増の26議席獲得に留まる。選挙公約には、道路特定財源の一般財源化、天下り禁止法の制定、全てのダム建設の一時凍結などが新たに盛り込まれた。
翌2002年9月、鳩山は代表に再選されるがこれに関連して中野寛成を幹事長に起用する論功行賞人事が党内の求心力の低下を招き、自由党との統一会派構想の責任を取る形で12月には辞任に追い込まれた。同月、岡田克也を破った菅直人が代表に返り咲く。
2003年9月、来る総選挙を前に執行部が自由党との合併に踏み切ることを正式に決断する。枝野幸男らをはじめ強硬に反対を唱える声もあったものの、役員、要綱、党名を据え置くという民主党による事実上の吸収合併という形で決着を見せた。この民由合併により民主党は両院合わせて204人(衆議院137、参議院67)を擁するまでに党勢を拡大させた。
11月、日本初のマニフェスト選挙となった第43回総選挙では、改選前を40議席上回る177議席を獲得、大きく躍進する。比例区の得票数では自民党を上回った。高速道路の原則無料化、年金制度の一元化、衆議院の定数80削減などがこの選挙から新たに政権公約でに加えられた。
2004年、年金制度改革を巡るいわゆる「年金国会」において菅直人の納付記録に未納期間があることが判明し、代表辞任へと追い込まれる。(後にこれは社会保険庁職員の怠慢による手続きミスであったことが明らかとなり、厚生労働省が謝罪している。)菅の後継にいったんは小沢一郎が内定するが、小沢にも年金未納が発覚し、出馬辞退に追い込まれた。
5月、新代表に若手の筆頭格であった岡田克也を無投票で選出。間を置かず7月の参議院選挙を迎えた。発足間もない新体制に一部不安視する声もあったが、50議席を獲得し、国政選挙において初めて自民党(49議席)に勝利を収めた。
この時期から政権選択選挙という言葉が急速に現実味を帯び始めるようになる。
郵政選挙の大敗、出直し
2005年8月、小泉純一郎首相が郵政民営化の是非を問うとして衆議院を解散(郵政解散)。自民党は民営化に反対したいわゆる造反議員との分裂選挙に突入した。選挙戦の序盤は「漁夫の利」などとして民主党に楽観的な論評も飛び交い、政権交代を確実視して伝える一部海外メディアもあった。
郵政民営化の是非を争点に選挙戦を展開した与党に対し、民主党は郵貯・簡保の徹底的な縮小と郵便事業への民間事業者参入促進など、2003年以来党が掲げてきた改革案で応えた。また、郵政問題よりも重要な争点として、利益誘導型政治・官僚支配からの脱却、公務員人件費の2割削減、18兆円に及ぶ税源の地方への委譲、大型公共事業の見直しなどを改めて提示し、「徹底した無駄削減」と「コンクリートからヒトへ」による大胆な社会構造の変革を訴えた。
しかし、「造反議員」と「刺客候補」の対決構図が連日のように報道されていく中で政策論争は次第に世論の関心を失い、民主党は小泉劇場の前に埋没していく。結局、改選前を大きく下回る113議席という結果に終わり、岡田民主党は歴史的大敗を喫した。岡田は即日代表辞任の意向を表明する。
党代表後継には菅直人と前原誠司が名乗りを上げる。当初は菅有利と見られていたものの、最終演説で投票議員の心を掴んだ前原が僅か2票差で選出された。前原は、「脱労組」「世代交代」を打ち出し、党の再建に着手する。耐震偽装問題で馬淵澄夫による証人喚問が世論の喝采を浴びるなど、新生民主党は順調な出直しを図ったかに見えた。
しかし、2006年2月に堀江メール問題が起きると、一転して民主党は激しい世論の批判を浴びることになる。情報の真偽を巡って執行部の対応が後手に回ったことも問題を長引かせる要因となり、翌3月にはついに前原が辞任に追い込まれる。これにより、民主党は解党の噂すら実しやかに囁かれる、危機的な状況に陥った。
小沢体制、政策の転換
4月、小沢一郎が菅直人を破り、新代表に就任する。小沢は菅を代表代行に指名し、幹事長を務める鳩山と共に「トロイカ体制」と言われる挙党一致体制を敷いた。
小沢体制ではまず小泉構造改革を否定するという大きな政策的転換が図られた。それまで民主党の方針であった経済成長路線は影を潜め、子ども手当ての増額、農家への戸別所得補償といった多額の財政出動を伴う政策を打ち出された。更に2005年総選挙時に掲げていた年金目的消費税を凍結するなど、財源に関して甘い見通しが立てられたのもこの時期である。
地方組織が磐石ではない民主党にあって、小沢は各議員・候補に徹底した地元活動を求めるなど、地盤の強化にも力を注いだ。2007年4月の統一地方選挙を勝利し、7月の第21回参議院議員通常選挙でも60議席獲得と大勝。ついに参議院で与野党の逆転を果たした。
小沢は参議院での多数を武器に与党に激しく抵抗する「対立軸路線」を敷き、政権を追い込む戦術を選択した。しかし11月、小沢はねじれ国会の運営に行き詰った福田康夫首相に大連立構想を提案する。しかし予てから「健全な二大政党制」を望んでいた民主党役員会では小沢を除く全ての議員がこれに反対、世論も同様の反応を示した。連立協議の仲介役を担った渡邉恒雄によれば、大連立構想を巡る小沢の狙いは消費税引き上げと憲法改正にあったという。その後、民主党は2008年のガソリン国会などで抵抗を続け、ねじれ国会を有利に戦いを進める。この頃には首都圏の政党支持率では自民党を圧倒するようになる。
ところが2009年3月、西松献金問題で小沢の公設第一秘書が逮捕・起訴され、党内外に激震が走る。事件を機に支持率は軒並み下降し、迫る総選挙への影響を避けるためとして5月、小沢は代表を辞任した。
次期総理候補を決める代表選挙として大きな注目を集める中、小沢に近い議員らが推す鳩山由紀夫と、世論の後押しを受けた岡田克也が争った。消費税率見直しは4年間議論もしないとした鳩山と、議論は行うべきだとした岡田であったが、参議院票の取り込みで優勢に立った鳩山が接戦を制した。初めて表面化した親小沢と非小沢との対立構図であったが、選挙後は岡田が幹事長職を引き受けるなど、このときはまだ選挙後の融和が図れる比較的穏やかなものであった。
7月12日、総選挙の前哨戦とも位置付けられた東京都議会議員選挙で第1党に躍り出る。島部を除く全ての選挙区で民主系の候補者が1位当選を確保するなど、地滑り的大勝を飾った。
翌13日、麻生太郎首相が衆議院を解散する意向を表明。この月、NHKの全国世論調査で初めて民主党が政党支持率で自民党を逆転する。
政権交代、鳩山政権の挫折
thumb|200px|第45回衆議院議員総選挙の開票速報を聞く民主党幹部ら
2009年7月21日、衆議院が解散され、事実上の任期満了選挙に突入する。鳩山由紀夫はこの総選挙を「政権交代選挙」と銘打ち、連立を見据える社民党、国民新党と合わせて過半数の議席確保を目指した。マニフェストには、前回の参院選で訴えた内容とほぼ変わらぬ政策が盛り込まれた。各種世論調査では終始民主党の圧倒的優勢が伝えられた。
結果、絶対安定多数を超える308議席を確保して、結党以来の悲願であった政権交代をついに実現する。308議席は、一つの党が獲得した議席数としては過去最多であった。また比例区の得票も2984万票を獲得し、日本の選挙史上で政党名の得票としては過去最高を記録した。
第172回国会で鳩山由紀夫内閣が正式に発足し、社民党・国民新党との連立政権が誕生する。党幹事長に小沢一郎、内閣官房長官には平野博文が起用された。
鳩山内閣は当初、70%を超す高い支持率を得てスタートした。CO2削減目標の引き上げ、自衛隊インド洋派遣の撤退、公共事業の見直しなどの政策を推し進めるが、同時に小沢幹事長と鳩山自身に政治資金収支報告書の虚偽記載問題が再燃する。「政治とカネ」を巡る不信に加え、鳩山よりも小沢に実質的な権力が集中する「二重権力構造」や、選挙支援と引き換えに予算配分を行う小沢の政治手法などが党内外で問題視されるようになると、内閣支持率は一転、下降の一途を辿ることとなる。
そんな中、行政の無駄をあぶりだすことを目的に事業仕分けが行われ、これが世論から概ね好意的な評価を受ける。しかし子ども手当などの新たな歳出や、不況による税収落ち込みもあって平成22年度予算では過去最大となる44兆円の国債発行をするに至った。
2010年1月、くすぶり続けていた政治資金収支報告書の虚偽記載問題で、石川知裕衆議院議員を含む小沢一郎の公設秘書と元秘書ら3人が逮捕される。3月には小林千代美衆議院議員の選対関係者2人も政治資金規正法違反で起訴され、民主党は厳しい批判を浴びることとなった。特に小沢に対しては幹事長、又は国会議員の辞職を求める声が世論の8割を超えるまでに高まっていた。
同時期、並行して深刻な問題となり始めていたのが、アメリカ軍の普天間基地代替施設移設問題であった。移設先を「最低でも県外が期待される」と総選挙時に明言していた鳩山は、沖縄及びアメリカが合意していた辺野古沿岸部へ移設する現行案を白紙に戻し、県外・国外移設の道を探っていた。しかし5月、移設先を見つけることができず、これを断念。失望した沖縄が現行案の辺野古沿岸部案をも受け入れ撤回する事態に発展し、移設問題は大きく後退してしまう。(この際、あくまで県外移設を求める社民党が連立を離脱する。)
不祥事と失政が続く鳩山内閣への国民の不信はピークに達し、来る参議院選挙では20議席台に留まるという衝撃的な事前調査も明らかとなる。鳩山は事態打開のため、一連の問題の責任を取る形で首相を辞任した。
菅政権、党内対立の激化
後継の代表選挙は、まず小沢の影響力排除を目指す菅直人がいち早く出馬を決め、小沢と距離を置く議員から支持を受ける。これに対し党内最大勢力を誇る小沢グループは中立派として出馬した樽床伸二を支持した。6月4日に行われた両院議員総会では、小沢グループ以外の票を固めた菅が圧勝した。この代表選では小沢の処遇を巡って党を二分する激しい攻防が繰り広げられ、党内には深刻な対立が残ることとなった。
菅内閣は発足にあたり、党幹事長に枝野幸男、内閣官房長官に仙谷由人など、主要ポストにいずれも非小沢の急先鋒を据えた。政策面では「強い経済、強い財政、強い社会保障」を一体的に実現させていく「第三の道」を打ち出し、財政再建と雇用創出を最大の国家的課題とする方針を表明。併せて消費税率見直し議論の提起、経済効果の薄い一部マニフェストの修正に着手するなど、鳩山内閣の政策方針からは大きな転換を図った。発足当初、60%を超える内閣支持率を記録する。。
しかし、2010年7月11日投開票の第22回参議院議員通常選挙では現有の54議席に届かず44議席獲得に留まり、参議院で過半数を失うねじれ状態に陥った。小沢グループは参院選敗北の責任は選挙前に消費税議論を提起した菅にあるとし、総理退陣や枝野幹事長の更迭を迫る。しかし国民の7割超は菅の続投を支持し、これを背景に菅も応じる姿勢を見せなかった。
こうした中で迎えた9月の代表選挙に小沢が出馬する。小沢による事実上の倒閣宣言であった。財政再建とマニフェスト一部修正を目指す菅陣営には菅、前原、野田の各グループに加え岡田克也が、消費税議論封印とマニフェスト堅持を掲げる小沢陣営には小沢、鳩山、羽田、樽床の各グループが参集し、結党以来最も深刻な党内抗争が始まる。新聞主要四紙が揃って小沢と鳩山を批判し、世論調査でも菅支持が小沢支持の4倍超を記録するなど、戦いは次第に菅優勢へと傾いていく。9月14日、地方議員票と党員・サポーター票で大差を付けた菅が圧勝で再選を果たす。幹事長には外務大臣から転じた岡田克也が再登板となり、閣僚からは小沢グループの議員は一掃された。この戦いにより党内の亀裂は更に深刻化することとなった。
2011年1月14日に菅第2次改造内閣が成立。ほどなく尖閣諸島中国漁船衝突事件の対応を巡り仙谷由人が内閣官房長官を辞任に追い込まれるなど政局は混乱、その矢先の3月11日には東日本大震災が発生し、政権は震災復興と福島原発事故の対応に追われることとなる。
そのさなかの6月1日、菅内閣では震災対応が十分に出来ないとの理由で野党が内閣不信任案を提出し、これに同調しようとする動きが小沢に近い議員を中心に党内に広がり、可決の公算が高まる。だが、採決の直前に開かれた党代議士会で菅が辞意とも取れる発言をしたことにより、造反の動きは鎮静化し不信任案は否決される。ところが、菅はその後も「脱原子力発電依存」の表明、震災復興・社会保障のための増税、子供手当ての所得制限導入などを党内の賛否を交わして断行し続投への意欲を示し、首相の座に「居座る」こととなる。この結果、野党のみならず党執行部内からも菅内閣退陣への要求が公然と出始めた。
8月に入りようやく菅が退陣を正式に表明し、8月29日に2011年民主党代表選挙が行われることとなった。この代表選には野田佳彦、海江田万里、前原誠司、鹿野道彦、馬淵澄夫の5人が出馬する混戦となる。だが、短期決戦により政策論が半ば置き去りにされたうえ、「小沢詣で」と揶揄された各陣営による小沢グループ取り込みの動きには内外から批判も見られた。当初は小沢が支援を表明した海江田が優勢と見られ、第一回投票で海江田が1位となるも過半数には至らず2位の野田と決選投票となった。決選投票では、反小沢で結束した前原・鹿野陣営が野田支援に回ったため野田が勝利し、野田が第9代党代表に選出された。
野田政権
第9代党代表に選出された野田は、8月30日の衆参両院本会議内閣総理大臣指名選挙において第95代内閣総理大臣に指名された。
公式HPに掲載されている1998年の第一回党大会決定によれば、民主党の基本理念(民主中道)は、
と定めている。菅内閣発足以降は、鳩山・小沢体制に確立した積極財政・福祉国家路線から、財政再建重視・市場原理主義の一部容認へと回帰する傾向が強くなってきた。
戦後補償問題
民主党の「政策集INDEX 2009」は、冒頭で「戦後諸課題への取り組み」を記載し、国立国会図書館に恒久平和調査局を設置するための国立国会図書館法改正や、従軍慰安婦だと名乗り出た外国人に日本国が謝罪と金銭の支給を行う戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案の成立を目標として掲げている。
福祉・医療
* 野党時代は障害者自立支援法による福祉サービスの負担増が障害者の自立を妨げているとして廃止をマニフェストに掲げていたが、民主党が与党になると自民党・公明党と同法案を継続することで合意し、2010年11月17日、障害者自立支援法一部改正案を衆議院厚生労働委員会で可決した。なお、野党時代は障害当事者を参画させた機関を設置して「障がい者総合福祉法(仮称)」を制定し、能力に応じた負担額に見直すことや、中小企業を含めた雇用の促進に取り組むとしていた。
*自公政権が「骨太の方針2006」で打ち出した社会保障費削減方針(年2200億円、5年間で1兆1000億円)を撤廃した。この結果、社会保障費は毎年1.3兆円の自然増となり、2015年には先進国最悪となる債務残高(1000兆円)を突破する見通しである[公債残高、15年度に1000兆円突破 内閣府が試算 :日本経済新聞 (2011/1/21 23:43)]
www.nikkei.com/news/category/article/g=96958A9C93819481E0E3E2E0888DE0E3E2E3E0E2E3E39797E0E2E2E2;at=DGXZZO0195164008122009000000
。
*福田康夫内閣で成立した後期高齢者医療制度に対しては、『高齢者いじめ法』と非難し、国会での審議拒否、後期高齢者医療制度廃止法案の提出や憲政史上初となる内閣総理大臣への問責決議の提出など、徹底した反対運動を展開したが、民主党が与党となると同法案は継続された。
*2013年までに介護労働者の賃金を月4万円程度引き上げ、介護事業者に対する介護報酬も7%加算することを目指している。
年金
*年金制度を一元化し、全ての職業の人が「所得が同じなら、同じ保険料の負担」となる仕組みに改めるとしている。この制度の給付は「所得比例年金」と「最低保障年金」の二階建てから成る。
*「所得比例年金」は、所得から徴収される保険料を財源とし、職業を問わず納めた保険料に応じて給付額が決定される。制度の『二階部分』にあたる。会社員は負担・給付額共にほぼ変わらず、公務員は給付額が下がる。自営業者は負担・給付額共に増える。
*「最低保障年金」は、どんな低所得者であっても最低7万円の年金を受給できるようにするものである。制度の『一階部分』にあたる。ただし、「所得比例年金」の給付水準が高い高額所得者へは減額、又は支給されない。制度導入前(~2013年)に年金未納だった者もその分だけ減額される。
*「最低保障年金」の財源には消費税5%分が充てられる。そのため、2033年~53年までに年金目的の消費税を段階的に引き上げる必要があるとしている。
*年金保険料は年金給付以外に使わず、事務費や広報費に費やされてきた年間約2000億円の経費は圧縮した上で国庫負担とすることにしている。
*「消えた年金」「消された年金」問題を早期に解決するため、2009年から約2000億円を投入して2年間集中的に取り組むとしている。
少子化対策
*高額所得者に有利であるとされる扶養控除を2011年に廃止し、同年から中学卒業までの子供1人当たりに年31万2000円(月額2万6000円)の「子ども手当」を直接給付することを決定している(2010年度は半額にて実施)。
*出産一時金の給付額を42万円から55万円に増額する方針である。
*不妊治療への医療保険適用を検討し、支援拡充を打ち出している。
*公立高校の授業料を無料化し、私立高校生にも授業料を補助(年12万~24万円程度)する制度を2010年度から開始させる。
*保育所に入所できないいわゆる待機児童の解消に向け、認可保育所の増設と共に、小中学校の空き教室の活用した施設の拡充や保育ママ制度の積極活用などを推進するとしている。
予算の見直し
*マニフェストで示された各種政策を実行するために、事業の効率化や歳出削減を断行して2013年度には16.8兆円の財源を生み出すとしている。
*不要不急の公共事業やハコモノ建設の凍結・廃止を表明し、政権発足後直ちに国土交通省が実行に移している。
*高速道路を原則として無料化する。交通・流通コスト軽減による内需拡大や、渋滞の解消による地球温暖化対策などの効果を見込んでいる。
行政改革・地域主権
*首相直属の「国家戦略局(室)」を創設し、各省の縦割りを排除して政治主導で予算の骨格作りを進めている。
*各大臣の連携を強め、政治主導の政策決定を行うための「閣僚委員会」、行政全般を見直す「行政刷新会議」を設置し、国会議員100人を行政に送り込むなどして、官僚依存政治からの脱却を図っている。
*ひも付きの補助金を廃止し、およそ18兆円の税源を地方に移譲して地域主権社会の確立を進めるとしている。
*国直轄事業に対する地方負担金制度が、国と地方との主従関係を築いているとしてこれを廃止し、従来負担金に充てていた財源を地方の自由な意思で使用できるように改めるとしている。
*国家公務員の天下りや、中央省庁による再就職の斡旋を禁止し、官製談合や随意契約の原因を根絶するとしている。
*独立行政法人が非効率な事業運営によって税金を無駄に使っているとして、一つ一つ精査した上で廃止か、民営化又は国直轄として存続させるかを決めるとしている。天下り受け入れの見返りに業務を独占するなど、実質的に各省庁の外郭団体となっている公益法人は廃止することにしている。
財政・税制
*財政再建への具体的な道筋をマニフェストで示していない。将来的にも消費税を財政赤字の穴埋めには使わないと明記していた。しかし菅政権や野田政権になってからは消費税の引き上げによる財政再建を明確に主張するようになった。
*社会保険庁を廃止・解体し、業務を国税庁に吸収させて歳入庁を設置し、年金保険料の無駄遣いを無くすとしている。
*2012年以降の消費税引き上げを否定しておらず、遅くても2015年頃までには消費税を10%に引き上げるとしている。
*中小企業の法人税率を一時的に11%に引き下げるとしている。
*相続税・贈与税の引き上げを検討している。
*酒税・たばこ税の引き上げを検討している。
*ガソリンの暫定税率を廃止し、道路特定財源を一般財源化して道路建設・整備以外の目的にも使っていくとしている。
外交・安全保障
*コソボ紛争やイラク戦争のような米国の単独行動主義的な武力行使に対しては反対するが、国連における安全保障理事会のプロセスを経た軍事出動には賛成の立場を取っている。
*小沢一郎のISAF参加発言やアフガニスタン復興支援特別措置法案に見られるように国連中心主義を基調とした自衛隊の海外派遣に比較的積極的であるとされる。ただし、民主党の基本政策では党内左派に配慮し「海外における武力行使を行わないこと」と明記されている[基本政策 民主党公式ホームページ]。
*戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案を他党に先駆け国会に提出し、これまで8度にわたり提出している。起案者の本岡昭次は「政権交代が実現したら真っ先に実現する法案」と述べている[【民主党解剖】第4部 新体制の行方(3)どうなる外国人参政権 MSN産経ニュース 2009年6月4日]。
*各国が同様の取り組みを行うことを前提条件に、1990年比で二酸化炭素の排出量を2020年までに25%削減することを国際公約に掲げている。
*米国を含む世界各国と自由貿易協定(FTA)、経済連携協定(EPA)の締結を推進する方針である。
外国人参政権
選挙・政治
*企業・団体献金を全面禁止し、税額控除やインターネット献金の推進によって個人献金を普及させるとしている。
*現職の国会議員の配偶者および三親等内の親族が、同一選挙区から連続して立候補することを民主党の内規で禁止している。
*一票の格差(較差)是正のため、衆議院の小選挙区を全て人口比例で振り分けるとしている。同様に参議院でも格差是正を図るとしている。
*資産公開の徹底、政治的地位利用罪の導入などにより、政治倫理を確立するなどを基本政策に掲げている。
*衆議院の比例定数を80議席削減するとしているが、かつて連立を組んでいた社民党やそのほかの小政党が反対の姿勢を明らかにしており、政権としての最終的な結論は出されていない。また参議院においても、衆議院に準じて定数を削減するとの方針を打ち出している。
*選挙権の年齢を18歳に引き下げる方針を固めている。
*2006年に与党の反対で否決された「インターネット選挙運動解禁法案」を成立させ、政策本位の選挙・カネのかからない選挙の実現を図るとしている。
*2009年9月18日、民主党は政府・与党一元的化のため、議員立法を禁止し、政府提出法案を原則とするを決めた。例外として「選挙・国会など議員の政治活動に係る、優れて政治的な問題」にかかわる法案としており、公職選挙法や政治資金規正法などに限定される見込みである。
子供・男女共同参画
*婚外子(非摘出子)の相続差別をなくす。
*選択的夫婦別姓の早期実現に向けて法案成立の準備を進めている。
*「離婚後300日以内に誕生した子を前夫の子と推定する」「推定を覆す申し立ては前夫からしか起こせない」とした現行制度により「戸籍のない子」問題が生じている現実を踏まえ、事実上離婚状態にあった期間を勘案して本当の父親を認定できるよう法改正するとしている。
その他
*労働政策では格差是正緊急措置法案により、欧米並みの最低賃金全国平均1,000円を目指している。
*製造業の派遣労働を原則禁止とし、専門業務(高い給与水準)の労働派遣に限って認める方向で労働者派遣法の改正を行う。また、違法な派遣が行われた場合は、派遣労働者が直接雇用を通告できるようにするとしている。
*農業政策では、戸別所得補償制度を掲げ、現在の農業協同組合への支援を中心とした政策を改めることを目指している。
*警察の取り調べの可視化や証拠開示義務を法制化し、冤罪の防止を図るとしている。
*性同一性障害者の性別変更について、未成年の子供がいてもこれを認めるように法制を見直すとしている。
*先進国中最も冷たいとされる日本の難民受け入れ状況を改善するため、「難民等の保護に関する法律」を制定し、国連難民高等弁務官事務所が認定した難民は原則として受け入れる方針を打ち出している。
民主党は自民党と同じく、社会民主主義や民主社会主義、保守主義、新自由主義などの幾つかの政治的思想の異なる政党の連合によって成立した為、全体の合意は存在するが個別政策によっては対立が生じてる場合もある。
また民由合併以降、小沢一郎を支持するグループと、小沢に批判的なグループとの対立が根強く存在する。
具体例
*野党時代には、小沢一郎を中心とする「対立軸路線(与党に反対的な立場を取り、違いを明確にする)」を主張するグループと、前原誠司を中心とする「対案路線(小泉構造改革の方向性に同調し、改革の速度や手法を競う)」を主張するグループの対立がしばしば指摘された。
*2006年10月、北朝鮮が核実験を行った後の朝鮮半島情勢は「周辺事態法」を適用できるかどうかを巡り、「周辺事態法は適用できない」とする小沢一郎代表(当時)ら執行部の見解を発表した。しかし、これに対して前代表である前原誠司を始めとする党内の右派から「周辺事態法は適用できる」とする意見表明が行われ、また民主党の外交・防衛部門は、「小沢代表らトロイカ体制の見解は民主党の公式見解ではない」と発表したため、有事に対する対応の不一致が浮き彫りになった。
*2008年10月、長島昭久が衆議院のテロ防止特別委員会でソマリア沖の海賊対策として海上自衛隊艦艇による民間商船の護衛を麻生太郎首相に提案。麻生首相が賛意を示す一方で、直嶋正行政調会長からは自衛隊の海外派遣につながるとして「どういうことなんだ」と詰め寄られた。
*戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案を積極的に国会に提出するとともに慰安婦(日本人女性のみ除外)に戦時性的強制被害者と新たな呼称を付すなど共産党や社民党と積極的に共闘する一方で、法案と反対の見解をとり、自民党右派と呼応する議員連盟「慰安婦問題と南京事件の真実を検証する会」と対立している。
*鳩山由紀夫・岡田克也をはじめとする主流派が所属する「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」が永住外国人への参政権を付与する活動を行っているが、反対の見解をとる議員連盟「永住外国人の地方参政権を慎重に考える勉強会」と対立している。
党内派閥
党員・サポーター
党員・サポーター制度は2000年の党大会で導入された。
党員は「民主党の基本理念と政策に賛同する18歳以上」の人間であれば、海外に在住する日本人でも、在日外国人でもなることができる。また、党員は地方組織に所属して党運営に参加することができる。党費は年間6千円、有効期間は1年となっており、民主党の機関紙である「プレス民主」が送られてくる[民主党 web-site]。
サポーターは「民主党を応援したい18歳以上」の人間であれば海外に在住する日本人でも、在日外国人でもなることができる。会費は、年間2千円で有効期間は1年となっている。
党員・サポーターは民主党代表選挙に投票することが出来る。なお、2002年の民主党代表選挙では一時的に1000円を支払えば誰でもサポーター登録が出来て投票することができたが、2004年からは5月末時点の登録者が9月の民主党代表選挙に郵便で投票できるようになった。
学生組織
青年局学生部 (CDS) が存在する。
本部
2009年12月現在の民主党本部は、永田町1丁目11番1号三宅坂ビルの一部を間借している。2009年衆院選において308議席を獲得し、衆参両院で417名の大所帯になったこと、政権与党になったことから来客が多くなり、党本部の手狭さが大きな悩みとなっている。
内規
民主党は2009年衆院選以降、世襲政治家制限の一環として内規において選挙区の候補について配偶者および三親等内の親族が当該議員と同一選挙区から連続立候補をする場合は新規に国政参入する新人については公認候補としないことを決めた。なお、民主党は2009年衆院選で福島1区から当選した石原洋三郎は父が2003年まで福島1区選出の衆議院議員であった石原健太郎であるが、6年間の空白があるため、民主党は同一選挙区でも6年間の空白があれば同一選挙区からの一等親の親族の立候補を認めている。
国会議員の公設秘書に配偶者を新規採用することは2004年に法律で禁じられたが、民主党では透明性確保に向けた取り組みをアピールするため、「三親等以内の親族」を公設秘書に採用することを禁止した内規を設けている。2009年衆院選の結果多くの新人議員が誕生したことにより、2009年9月15日に内規を「一親等以内の親族」に緩和することを決定した。
与党3党での取り決めで民主党所属の国会議員の海外公務のファーストクラス利用を禁止している。
歴代代表(党首)
次の内閣
歴代執行部役員
閣僚経験者
党役員
*2011年9月13日より
最高顧問||最高顧問||羽田孜||鳩山由紀夫||菅直人
渡部恒三||渡部恒三||江田五月||藤井裕久
岡田克也||岡田克也||colspan="2"|
代表||代表||野田佳彦||colspan="2"|
副代表||副代表||北澤俊美||直嶋正行||岡崎トミ子
田中慶秋||田中慶秋||colspan="2"|
幹事長||幹事長||輿石東||colspan="2"|
幹事長代行||幹事長代行||樽床伸二||colspan="2"|
幹事長代理||幹事長代理||城島光力||colspan="2"|
筆頭副幹事長||筆頭副幹事長||鈴木克昌||colspan="2"|
総括副幹事長||総括副幹事長||阿久津幸彦||樋高剛||松井孝治
副幹事長||副幹事長||篠原孝||大谷信盛||高井美穂
古賀敬章||古賀敬章||逢坂誠二||石関貴史
柚木道義||柚木道義||宮島大典||谷岡郁子
大島九州男||大島九州男||行田邦子||大久保潔重
米長晴信||米長晴信||中谷智司||平山幸司
参議院幹事長||参議院幹事長||平田健二||colspan="2"|
政策調査会長||政策調査会長||前原誠司||colspan="2"|
政策調査会長代行||政策調査会長代行||仙谷由人||colspan="2"|
政策調査会長代理||政策調査会長代理||三井辨雄||桜井充||
政策調査筆頭副会長||政策調査筆頭副会長||大島敦||colspan="2"|
政策調査副会長||政策調査副会長||長妻昭||中山義活||吉良州司
菊田真紀子||菊田真紀子||田村謙治||横山北斗
小川淳也||小川淳也||階猛||松崎哲久
郡司彰||郡司彰||鈴木寛||榛葉賀津也
大久保勉||大久保勉||松野信夫||加賀谷健
中村哲治||中村哲治||金子恵美||
国会対策委員長||国会対策委員長||平野博文||colspan="2"|
国会対策委員長代理||国会対策委員長代理||松本剛明||加藤公一||
国会対策筆頭副委員長||国会対策筆頭副委員長||三日月大造||colspan="2"|
国会対策副委員長||国会対策副委員長||松野頼久||山井和則||西村智奈美
長安豊||長安豊||松本大輔||泉健太
参議院国会対策委員長||参議院国会対策委員長||羽田雄一郎||colspan="2"|
選挙対策委員長||選挙対策委員長||高木義明||colspan="2"|
選挙対策委員長代理||選挙対策委員長代理||山花郁夫||広田一||
総務委員長||総務委員長||田中直紀||colspan="2"|
総務委員長代理||総務委員長代理||辻恵||渡辺浩一郎||
総務副委員長・国際担当||総務副委員長・国際担当||加藤学||相原史乃||ツルネンマルテイ
白眞勲||白眞勲||colspan="2"|
財務委員長||財務委員長||武正公一||colspan="2"|
財務委員長代理||財務委員長代理||笹木竜三||colspan="2"|
組織委員長||組織委員長||古本伸一郎||colspan="2"|
組織委員長代理||組織委員長代理||梶原康弘||那谷屋正義||
組織副委員長||組織副委員長||藤谷光信||水戸将史||風間直樹
松浦大悟||松浦大悟||吉川沙織||友近聡朗
外山斎||外山斎||斎藤嘉隆||
広報委員長||広報委員長||広野允士||colspan="2"|
広報委員長代理||広報委員長代理||豊田潤多郎||米長晴信||
広報副委員長||広報副委員長||玉城デニー||岡本英子||空本誠喜
高橋昭一||高橋昭一||福嶋健一郎||大山昌宏
三宅雪子||三宅雪子||石原洋三郎||牧山弘恵
有田芳生||有田芳生||谷亮子||姫井由美子
横峯良郎||横峯良郎||金子洋一||田城郁
企業団体対策委員長||企業団体対策委員長||池口修次||colspan="2"|
企業団体対策委員長代理||企業団体対策委員長代理||小宮山泰子||若井康彦||轟木利治
梅村聡||梅村聡||徳永久志||舟山康江
企業団体対策副委員長||企業団体対策副委員長||山崎摩耶||水野智彦||大西孝典
岸本周平||岸本周平||石井章||金子健一
木内孝胤||木内孝胤||木村剛司||大西健介
国民運動委員長||国民運動委員長||近藤洋介||colspan="2"|
国民運動委員長代理||国民運動委員長代理||津村啓介||石関貴史||林久美子
国民運動副委員長||国民運動副委員長||江端貴子||矢崎公二||山崎誠
本村賢太郎||本村賢太郎||稲富修二||森山浩行
岡田康裕||岡田康裕||小山展弘||藤田大助
柴橋正直||柴橋正直||大河原雅子
常任幹事||常任幹事||北海道||仲野博子||東北||川口博
北関東||北関東||武正公一||南関東||田中慶秋
東京||東京||長島昭久||北陸信越||松宮勲
東海||東海||古本伸一郎||近畿||岸本周平
中国||中国||川上義博||四国||武内則男
九州||九州||川内博史||colspan="2"|
常任幹事会議長||常任幹事会議長||中野寛成||colspan="2"|
両院議員総会長||両院議員総会長||直嶋正行||colspan="2"|
参議院議員会長||参議院議員会長||輿石東||colspan="2"|
代議士会長||代議士会長||細川律夫||colspan="2"|
中央代表選挙管理委員長||中央代表選挙管理委員長||岡崎トミ子||colspan="2"|
中央代表選挙管理委員||中央代表選挙管理委員||若泉征三||稲見哲男||中根康浩
村越祐民||村越祐民||藤原良信||難波奨二
会計監査||会計監査||沓掛哲男||大石尚子||
倫理委員長||倫理委員長||北澤俊美||colspan="2"|
倫理委員||倫理委員||細川律夫||中川治||橋本清仁
樋口俊一||樋口俊一||松野信夫||佐藤公治
民主党・[[新緑風会]]([[参議院]])常任役員
*2011年9月13日より
会長||会長||輿石東||colspan="2"|
副会長||副会長||柳田稔||高橋千秋||藤原正司
幹事長||幹事長||平田健二||colspan="2"|
幹事長代理||幹事長代理||松井孝治||谷岡郁子||
国会対策委員長||国会対策委員長||羽田雄一郎||colspan="2"|
国会対策委員長代理||国会対策委員長代理||川崎稔||武内則男||
[[議院運営委員会]]理事||[[議院運営委員会]]理事||小川敏夫||川崎稔||川合孝典
[[予算委員会]]理事||[[予算委員会]]理事||川上義博||武内則男||
政策審議会長||政策審議会長||桜井充||colspan="2"|
政策審議会長代理||政策審議会長代理||中村哲治||金子恵美||
会計監査||会計監査||郡司彰||広野允士||
衆議院
選挙||選挙||当選/候補者||定数||備考
(結党時)||(結党時)||98/-||style="text-align: right;"|511||
第42回総選挙||第42回総選挙||○127/262||style="text-align: right;"|480||追加公認+2
第43回総選挙||第43回総選挙||○177/277||style="text-align: right;"|480||追加公認+3
第44回総選挙||第44回総選挙||●113/299||style="text-align: right;"|480||
第45回総選挙||第45回総選挙||○308/330||style="text-align: right;"|480||
参議院
(参考文献:石川真澄(一部、山口二郎による加筆)『戦後政治史』2004年8月、岩波書店・岩波新書、ISBN 4-00-430904-2)
*当選者に追加公認は含まず。追加公認には会派に加わった無所属の議員を含む。
*『戦後政治史』にない追加公認は2 国会議員会派別議員数の推移(召集日ベース)(衆議院)、(2) 参議院(2002年まで)、(2) 参議院(2004年まで)にある、選挙直後の国会召集日の会派所属者数から判断した。ただし、第20回通常選挙直後の召集はなく、国会の記録は、副議長就任による党籍離脱が行われたあとで-1となっている。
選挙||選挙||当選/候補者||非改選||定数||備考
(結党時)||(結党時)||38/-||style="text-align: right;"|-||style="text-align: right;"|252||
第18回通常選挙||第18回通常選挙||○27/48||style="text-align: right;"|20||style="text-align: right;"|252||追加公認+7
第19回通常選挙||第19回通常選挙||○26/63||style="text-align: right;"|33||style="text-align: right;"|247||追加公認+1
第20回通常選挙||第20回通常選挙||○50/74||style="text-align: right;"|32||style="text-align: right;"|242||追加公認+2
第21回通常選挙||第21回通常選挙||○60/80||style="text-align: right;"|49||style="text-align: right;"|242||追加公認+4
第22回通常選挙||第22回通常選挙||●44/106||style="text-align: right;"|62||style="text-align: right;"|242||
地方政治
* 地方議員:2318人
** 都道府県議会:558人
** 市町村議会:1760人
政党支持率の推移
第21回参議院議員通常選挙までは、民主党の政党支持率は自民党と比べ上下変動が大きく、国政選挙の直前に急上昇する傾向が見られた。各種全国紙の世論調査では大体15%前後で推移していたが、朝日新聞の調査では第43回衆議院議員総選挙の前に20%台まで上昇している。また同調査で第20回参議院議員通常選挙および第21回参議院議員通常選挙の前には30%台まで急上昇し、このときは自民党の支持率を逆転するまでに至った。しかしその一方で、選挙後は選挙前の水準まで下がるのが一般的であった。また堀江メール問題など党内で不祥事などが起きると平時よりも政党支持率が一段と下落していた。
年齢別に見ると、結党後しばらくは20~40代の世代に強い支持を集めていたが、自由党と合併し小沢一郎の代表就任後は50~60代の中高年層や保守層などにも支持を広げている。一方性別で見てみると、女性議員の数は自民党より多いにも関わらず、女性層の支持は男性層より少ない。
第21回参議院議員通常選挙後は、これまでのような、選挙後に支持率が急降下するという現象が発生しておらず、各種世論調査で20%以上の支持率を維持している。このため、選挙後も自民党の支持率を上回るという現象が初めて維持されていたが、安倍首相の辞任会見、福田康夫新総裁の選出の余波を受け、多くの調査で自民党に政党支持率トップの座を奪い返された。しかし、その後も各種世論調査で政党支持率はこれまでに比べて高い水準を維持し続け、大連立騒動などの混乱が起こっても支持率の急降下という現象が発生しなくなった。福田首相の突然の辞任とその後に発足した麻生内閣の混乱に伴って自民党支持率が急降下したため、最近では再び各種世論調査で支持率が自民党を上回るようになった。
しかし、2009年3月の小沢一郎代表の公設第一秘書が逮捕された事件の影響で、各種世論調査での支持率は低下し、各種世論調査での政党支持率が自民党を下回ったが、鳩山由紀夫代表の選出直後には再び自民党を上回っている。
都市部優位からの変化
かつて、民主党は、1区現象で顕著であったように、各県の県庁所在地や東京などの都市部での支持が圧倒的に強いという傾向があった。ところが、2005年9月11日の第44回衆議院議員総選挙においては、「逆1区現象」と呼ばれたほど民主党が都市部での票を大きく失い、東京都内の小選挙区での当選者が東京18区の菅直人のみ、千葉県内の小選挙区の当選者が千葉4区野田佳彦のみ、神奈川県内の小選挙区での当選者は0となるなど、大敗北を喫した。これは、自民党が、地方を軽視する傾向にあったものの、「小泉劇場」「刺客選挙」で増幅され続けた小泉純一郎首相への個人的人気(ポピュリズム)、いわゆる「小泉旋風」により、特に都市部において自民党候補への票が圧倒的に増加したことが原因とされている。
しかし、その後小沢一郎が党代表に就任すると地方や農村部で民主党がそれまでになく健闘するケースも見られた。小沢は2007年7月の第21回参議院議員通常選挙に備え、自ら参議院一人区となっている地方を重点的に回り、自民党の支持基盤の切り崩しを図った。その結果、自民党の支持基盤である地方でも選挙区選挙で自民党候補を押す人が減り、支持の急伸した民主党候補に逆転される場合が多くなった。安倍自民党が閣僚たちの数々の不始末や年金問題などで自滅し続けていた(新聞各紙のアンケート調査)という要素もあるが、地方でこのような民主党への着実な支持が新たに広がっていたため、参議院一人区で、民主党公認候補が17勝6敗、野党系無所属候補を合わせると23勝6敗という大躍進が実現したと考えられる。2007年の参議院選挙では、地方を中心とする「一人区」で民主党が自民党に対し17勝6敗(無所属等も含めると23勝6敗)と3倍近い議席を獲得した。
その後、政権交代を実現した2009年の第45回衆議院議員総選挙では民主党が都市部において支持を挽回し自民党を圧倒する一方、西日本の農村部を中心に自民党が議席を守るといった傾向が顕著となった。
政権交代後
政権交代後初の大型国政選挙である2010年の第22回参議院議員通常選挙では、一人区で8勝21敗と大敗したことが響き、比例代表の獲得議席で自民党を上回ったものの、改選議席を大きく下回る結果となった。その後の統一地方選でも敗北するなど地方を中心に党勢の退潮が顕著となっている。
地方政治における勢力
結党当初、愛知県、北海道などの旧社会党系、旧民社党系の組織がそのまま参加した地域を除き、地方組織がほとんど無い状態でスタートした政党だったため、国政の議員数に比べ明らかに地方議員の数が少ない状態が続いていた。しかし、複数の国政選挙の経験から、また自由党から合流し代表となった小沢一郎の方針により、地方組織の充実のため地方議員を増加させることが党の課題とされた。2007年の統一地方選挙がその試金石であった。
統一地方選挙の前哨戦と言われた2006年12月10日投票の茨城県議会議員選挙では、保守王国(自民王国)である茨城県において、水戸市や日立市で民主党議員がトップ当選し、県南地域の土浦市でも民主党が議席を獲得した。2007年4月8日に実施された、東京都・茨城県・沖縄県を除く44道府県議会議員選挙では、民主党は都市部を中心に躍進し、埼玉県・千葉県・神奈川県・愛知県といった大都市圏の県議会で大幅に議席を増やした。また、政令指定都市の市議選でも、札幌市・名古屋市・川崎市で議席数が自民党を上回り、仙台市・神戸市・堺市では自民党に1議席差まで迫った。議員定数の少ない選挙区でも、民主党新人が自民党の大物議員に競り勝った。
2007年4月22日実施の特別区議選では43議席増、市町村議選でも一般市議選で82議席を増やしており、地域での基盤の充実の方針が成果を収めつつあったと考えられる。しかし、市区町村地方議会議員の数では、公明党、日本共産党と比べると少なく、社民党よりも議員の数が少ない地域もある。
その後は2008年9月の麻生太郎首相就任後、自民、民主両党が対決した知事選、政令指定都市の市長選など7つの大型地方選で5勝した後、2009年7月12日に行われた東京都議選では自民党を44年ぶり第一党から転落させ、都議会第一党に躍進するなど着実に地方での支持を拡大させた。
カテゴリー||カテゴリー||団体
労働組合||労働組合||*日本労働組合総連合会(連合)
宗教団体||宗教団体||*立正佼成会(新日本宗教団体連合会)
業界団体||業界団体||*全日本遊技事業協同組合連合会(全日遊連)および日本遊技関連事業協会(日遊協)
その他||その他||*部落解放同盟
赤い2つの円が描かれた民主党のロゴマークは、1998年4月に発表された。デザインは浅葉克己によるもので、白地に一つの赤色の真円と、もう一つの赤色の歪んだ円とを、上下に少しだけ重なるように並べて配置し、その2つの円の重なった部分だけは素地と同じ白色にしたものとなっている。
2つの円は「民の力」の結合を象徴的に表しており、下側の円の輪郭線が曲線でないのは、円がみなぎる力で動いたり、育ったりして、生命体のように成長しつつ、融合して新しい形を生み出す様子を表している。また、結党当時の代表・菅直人によると、「今は完全ではないが、雪だるまも転がしているうちに大きくきれいな球に育つ」という思いを込めたものだと解説している。
国旗切り張り問題
150px|thumb|2つの国旗を切り張りして作成し掲げられたという民主党の党旗(イメージ図)
8月18日、皆吉稲生は予定通り衆院選に立候補し、出陣式で「国旗の使用方法としては不適切で深くおわびする」と謝罪した。同日、民主党幹事長・岡田克也が皆吉を口頭注意した。皆吉の後援会は、党本部や県連および支援団体に「国旗の尊厳をおとしめる意図は全くなく、主催者の不手際が原因」と謝罪する文書を送付した。
櫻井よしこは、韓国では「法律で国旗を手厚く守っている」ことを挙げ、「国旗を無惨に切り裂いた行為を取り立てて問題だと思わない民主党の面々と多くの日本人」を非難し、「おかしな日本の姿がくっきり浮かんだ『事件』だった」と評した。
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