秋田県山本郡山本町(現・三種町)出身。秋田県立能代高等学校卒業後、中央大学に進学。卒業後は同大学院社会学専攻課程を修了した。経営コンサルタントを務めていた。
秋田県議として
1991年秋田県議会議員選挙に、当時の山本郡選挙区(現在は、区割り変更により、「能代市・山本郡選挙区」)より出馬し、斉藤滋宣(現・能代市長)と共に初当選。当時は自民党員であった。自民党離党後の1999年の県議選で3選を目指すも、参議院議員に鞍替えした斉藤の後継候補の武田英文(旧二ツ井町地盤)、および現在の八峰町を地盤とする金谷信栄の両自民党候補に阻まれ落選(以降、山本郡の南部3町→現在の三種町を地盤とする県議は区割り変更された現在まで出ていない)。
その後民主党入りし、2001年の第19回参議院議員通常選挙で秋田県選挙区から出馬するも落選。さらに同年11月には、同年7月実施の秋田市長選出馬のために穂積志が辞職していた事と、当時の民主党県議であった山田靖男(旧・阿仁町出身)の死去により、欠員2となった秋田市選挙区(現在は、旧河辺郡選挙区を吸収しているため、エリアは拡大している)の単独補欠選に、山田の事実上の後継として国替えして出馬(地盤も、山田と同じく広面地区としていた)し、市長選挙に落選していた穂積(穂積は、本来の任期前の選挙で当選したため、最終的な県議当選回数と任期数が合わない。なお、穂積は2009年に同じ理由で再度辞職し、今度は市長選に当選している)とともに返り咲き、以後秋田市選挙区で3期連続当選。県議としては、通算5期務める。
代議士として
2009年8月第45回衆議院議員総選挙にあたって、秋田2区の候補として社民党の山本喜代宏を党本部および秋田県連が推薦したことに対して抵抗し、同年4月の秋田県知事選挙に落選した前小坂町長の川口博擁立に動いた。結果として川口は無所属で出馬し選挙区当選を果たした。さらに高松自身も総選挙に出馬するため県議を辞職。比例東北ブロックより単独23位で立候補し初当選。2011年2月17日民主党政権交代に責任を持つ会に入会。