石川 知裕(いしかわ ともひろ、6月18日 - )は日本の政治家、衆議院議員(2期)。
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北海道足寄郡足寄町出身。3人兄弟の末子。実父はの足寄町長選挙で次点になった石川勲。
の衆院選で、民主党公認で北海道第11区より立候補。84,626票を集めるが、107,056票を得た中川昭一(自民党)に惜敗率79.0%で敗れる。しかし、民主党の衆議院議員荒井聰(比例区北海道ブロック選出)が2007年4月8日の北海道知事選出馬に伴い、3月16日に辞職したため、比例区次点であった石川は3月27日に総務省中央選管の承認を得て、繰上で初当選(一種の比例復活)を果たした。同選挙区では、民主党候補としては初の当選となり、日本社会党、新進党を含め野党第一党として社会党新村源雄以来21年ぶりの議席となる。このころ、同郷の鈴木宗男(新党大地代表)と協調することを自身のサイト内で明言した。
3月26日、国鉄労働組合のJR採用差別闘争の院内集会に参加し、連帯の挨拶を行った。
8月30日に行われた第45回衆議院議員総選挙において、前回同様、北海道第11区から出馬し118,655票を獲得、中川昭一(89,818票)を破り再選された。
1月15日、小沢秘書時代において陸山会事件に関し、東京地検特捜部から政治資金規正法違反で公設第一秘書の大久保隆規や元私設秘書らと共に逮捕された。
2月5日、保釈保証金1200万円を現金で納付し、同日夕に拘置先の東京拘置所から保釈された。勾留期間は21日間だった。
2月11日、民主党に離党届を提出。15日の党常任委員会で離党が承認された。同年12月、民主党籍のない無所属議員ながら、民主党と連合による十勝合同選挙対策本部長に就任し、2011年4月の統一地方選挙の指揮。
小沢一郎の書生として洗車や庭掃除をこなし、秘書となってからは運転手を務める。道を間違えると後部座席に座る小沢から蹴り上げられるといった厳しい指導を受けるが、同僚の秘書が次々と辞めていくなかで懸命に仕え、小沢が信頼する者しか任命しない会計事務担当者に任命される。
秘書時代に当時の橋本龍太郎首相からの電話を受け、小沢に知らせると、「風呂に入ってるから出られる訳ないだろうと伝えろ」といわれ、首相に対しても大物然として振舞う小沢の姿に感動する。
尊敬する人物は小沢であり、また、政治の父であるとも述べている。小沢との関係は衆議院議員となった後も代議士と秘書そのものだったと事務所関係者は述べている。
『産経新聞』の報道によれば、2005年の第44回衆議院議員総選挙で小沢に無断で民主党公認候補の公募に応募して激怒させ、小沢事務所を出入り禁止にされる。その際、小沢の自宅の玄関先で、「小沢先生、すみませんでした」と涙ながらに3時間に渡って土下座したという。
一方、自身の著書「悪党 小沢一郎に仕えて」P112によれば、「翌17日の日経新聞には「小沢氏が激怒し、石川議員は最後は東京・赤坂の飲食店で土下座し続けたというと書かれていた。どちらも「土下座」としているのは虚報だ。しかも、どうして産経は「玄関先」で、日経は「赤坂の飲食店」なのだろう。」と産経新聞と日経新聞の報道が虚報であると指摘している。
その後、2009年に小沢一郎の資金管理団体「陸山会」の土地購入を巡る陸山会事件で政治資金規正法違反で告発され捜査対象となり、
保釈後の2月11日、民主党に離党届を提出。15日の党常任委員会で離党が承認された。
公判では「(関連団体からの寄付の億単位の虚偽記載は)上着の左ポケットから右ポケットに移し替えた程度の意識」と主張して政治資金収支報告書の中身が正確ではなかったことを認めているが、悪質性が低いとして無罪を主張している。
『悪党 小沢一郎に仕えて』(朝日新聞出版 2011.7.7)を出版。既に5万部(9刷)を突破し、異例の売れ行きを記録。新聞や雑誌の書評でも数多く取り上げられ、注目を集めている。
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