生い立ち
北海道岩見沢市に生まれる。父親は、民社党創設に参加し副委員長を務めた小平忠。
1960年北海道札幌南高等学校、1964年慶應義塾大学法学部政治学科を卒業する。大学卒業後、アメリカジョージタウン大学への留学を経て、1969年総合商社トーメンに入社。1972年トーメンを退社し、北海道に帰り栗沢町に牧場を経営する。
国会議員として
父の縁で、民社党北海道総務局役員を経て、1990年第39回衆議院議員総選挙に民社党公認で立候補し、衆議院議員に当選する。(同区内出身の鉢呂吉雄も別の選挙区で初当選)
細川内閣で政権交代を果たし、羽田内閣経て1994年の野党第一党・新進党結党大会に参加するも1995年9月28日に新進党を離党し、中選挙区時代のライバルであった新党さきがけ代表幹事鳩山由紀夫との近い政治的スタンスから、与党さきがけ入党(仲介役は横路孝弘)。1996年1月第1次橋本内閣の農林水産政務次官に就任。
この後、鳩山と共に1996年に旧民主党を結成。その際、民主党北海道の基盤作りにおいて奔走し、初代代表に就任する。1998年の民主党結成に参加。国政においては2000年に衆議院逓信委員長、2002年には衆議院農林水産委員長などを歴任。
2004年国会を揺るがした役職経験者の年金未納問題の際に農水政務次官退任後、農水省の事務手続き不備によりその後の7年2か月間未納であったことが発覚した。
2005年9月前原誠司新代表の下、民主党代議士会長に就任する。なお、小沢一郎代表の下でも引き続き、代議士会長を務めた。
2009年8月の政権交代時には民主党の農業政策の中心人物として農林水産大臣への就任が期待されたが、党内グループへの配慮人事により入閣を逃した。
その後、政権の役職には就かず、党の中央選管委員長として、2度の民主党代表選挙を取り仕切った。
2010年9月の菅内閣改造の際も、再び農水大臣の候補として名前が挙がったが、入閣とはならず、衆議院外務委員長に就任した。
2011年9月の野田内閣発足に伴い衆議院議院運営委員長の川端達夫が総務大臣に就任したため、後任の議院運営委員長に就任した。