藤田 幸久(ふじた ゆきひさ、4月19日 - )は日本の政治家。民主党所属の参議院議員(1期)。元衆議院議員(2期)。
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経歴
茨城県日立市生まれ。日立市立会瀬小学校、茨城大学教育学部附属中学校、茨城県立水戸第一高等学校を経て、1975年に慶應義塾大学文学部哲学科を卒業。大学卒業後、MRA国際親善使節「ソング・オブ・アジア」に参加し、1977年までの2年間、アジア・太平洋地域の青年50人で、100の家庭にホームステイしながら世界14ヶ国を歴訪する。その後も世界各国への歴訪を続け、各地でボランティアに従事した。1979年、難民を助ける会の創設に参加し、後に同会常務理事に就任する。1984年、国際MRA日本協会専務理事に就任。
1996年、鳩山由紀夫の支援を受け、旧民主党に入党。第41回衆議院議員総選挙に比例東京ブロック単独で出馬し、当選。藤田は国際NGO出身者では初の国会議員である。2000年、第42回衆議院議員総選挙では東京都第12区から出馬したが、自由民主党の八代英太郵政大臣に敗北。落選中は鳩山由紀夫民主党代表の下で政策顧問を務める。2003年の第43回衆議院議員総選挙では公明党の太田昭宏に東京12区で敗れたが、比例復活により3年ぶりに返り咲きを果たした。同年民主党国際局長に就任。2005年の第44回衆議院議員総選挙では、郵政民営化法案の採決で賛成票を投じた公明党の太田、反対票を投じた自民党の八代、藤田の3人が東京12区から出馬し(八代は公認を得られず無所属で出馬)、太田が当選。藤田、八代は共に落選する。
2007年、小林元参議院議員の引退を受け、第21回参議院議員通常選挙に茨城県選挙区から出馬。保守王国の茨城県で、自民党候補を11万票超の大差で下して参院で初当選する。茨城県選挙区で民主党候補が50万票以上を獲得したのは、藤田が初めてだった。
同年9月、公設秘書が覚せい剤取締法違反で逮捕され、民主党国際局副局長、ネクスト防衛副大臣、茨城県連副代表を引責辞任した。
2008年に参議院北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員長に就任。2009年に民主党国際局長、2010年に参議院財政金融委員長にそれぞれ就任した。2011年には野田内閣で財務副大臣として初入閣。
政策・主張
* キャッチコピーは、「泣く政治から、笑う政治へ」。
*「対人地雷全面禁止推進議員連盟」事務局長として、クラスター爆弾禁止条約推進に対する日本政府の行動が鈍かった点を批判している。
人道支援活動
藤田幸久のホームページには、以下の人道支援活動の成果が報告されている。
1999年、コソボの隣国のマケドニアに民主党事務所を開設し、ボランティアを常駐させて約半年にわたりコソボ難民の支援活動を行う。2002年、民主党がパキスタン及びアフガニスタンに事務所を設け、半年にわたって行ってきたアフガニスタン難民支援活動を終了し、カルザイ議長(後の大統領)に報告する。2004年4月、民主党国際局長としてヨルダンへ派遣され、イラクで誘拐された日本のNGOスタッフや記者の救援活動を支援。2005年には、インドネシアとスリランカへ民主党から派遣され、スマトラ沖地震・津波災害への支援活動を行い、政府に対して人道支援に関する提言を行う。同年のパキスタン大地震の際にも、現地に派遣され、政府に対して提言を行う。
パキスタン大地震被災地調査報告www2.y-fujita.com/cgi-bin/katsudou/20051011.php2006年のジャワ島地震の際にも、現地に派遣され、政府に対して提言を行う。2010年のハイチ大地震の際にも現地に派遣され、政府に対して提言を行う。
民主党の外国訪問活動を企画、参加
* 1996年 中国(団長:鳩山由紀夫,胡錦濤副主席他と会談)
* 1996年 韓国(団長:鳩山由紀夫,金泳三大統領と会談)
* 1997年 アメリカ(団長:横路孝弘,ジョゼフ・ナイ(ハーバード大教授)他と会談)
* 2004年 国連本部、ノルウェー、スウェーデン(団長:菅直人,コフィ・アナン国連事務総長、スウェーデン・パーション首相他、ノルウェー・ボンデビック首相と会談)
* 2004年 アメリカ(団長:岡田克也,グリーンスパン連邦準備制度理事会(FRB)議長、アーミテージ国務次官他と会談)
国会における活動
外国人参政権
2008年1月、在日韓国人等に参政権を付与することを目的とする「在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟」が民主党内に発足し、参加する。
戦争捕虜
2008年11月13日、参議院外交防衛委員会で麻生鉱業が戦時中、連合国捕虜を使役した事実があるかどうか麻生太郎首相に質した。麻生首相は「当時4~5歳で認識するには早すぎる」と答弁した。12月18日、厚生労働省は麻生鉱業がイギリス、オーストラリア、オランダ人捕虜約300人を炭鉱作業に使っていたことを示す資料を藤田に提出。2009年1月に、麻生首相は第2次世界大戦中に300人の連合国捕虜を麻生鉱業が使役していたことを、初めて国会で認めた。
1月29日、藤田は戦時中の連合国捕虜使役問題に関する質問主意書を提出し、戦時中に連合軍捕虜が日本で使役されたことを外交問題として政府に認めさせようとしたが、政府は国際条約、国際事業、賠償問題の全てに対応済みであることを返答した。
藤田は同年2月6日、福林徹(大阪経済法科大学アジア太平洋研究センター客員研究員)・内海愛子(早稲田大学客員教授)両氏と「麻生鉱業捕虜使役問題に関する報告会・記者会見」を開催し、戦時中麻生鉱業吉隈炭鉱で使役させられたオーストラリアの元捕虜・家族の声や終戦時の写真を公開した。そして「日米政府の公式記録ではないが、当時の朝鮮人強制労働者10000-16000人と外国人捕虜約3万人が麻生鉱業で鉱夫として働いていたと推定される」「麻生首相は“当時、4歳だった自分は何も知らない”と事実の確認を拒否してきたが、生存者(捕虜労働者の)と遺族は麻生首相の謝罪と個人賠償を望んでいる」と述べた。
2月9日、藤田は再度の質問主意書を提出し、「外務省外交史料館が保管する外交記録から「戦時捕虜に関する資料及び関係の文書」の目録および、麻生鉱業に関する文書を提示することを要求したが、政府から「御指摘の「文書」を含むものを特定するためには膨大な作業を要するため、お尋ねについて網羅的にお答えすることは困難である。」と回答された。
藤田は、これらの経緯を雑誌「世界」2009年5月号に、「史実検証 麻生鉱業の消せない過去」として寄稿した。
2009年5月20日、藤田は民主党戦後処理プロジェクト・チームの第二次大戦時の連合国捕虜問題と取り組む小委員会の幹事長に就任。2009年6月戦時中に麻生鉱業で使役された元捕虜のジョー・クームズさん(88歳)などが、藤田を含む国会議員や市民グループの招きで来日し、福岡県飯塚市の旧麻生鉱業や収容所跡地などを訪れ、当時子供であった市民たちと再会した。一行は、東京で江田五月参議院議長、鳩山由紀夫民主党代表、福島瑞穂社会民主党党首らと会談した。
海賊対策
2009年2月3日、ソマリア沖の海賊対策のための自衛隊派遣に関する民主党外交防衛部門会議において、派遣に関する明確なガイドラインを作成するよう政府に注意を促した。政府は「海賊行為」については説明したが、「海賊」そのものの定義についての答弁をしていないとして定義と各地域における海賊の実態についての説明を求めた。これに対し、自民党議員からは「民主党はいまごろ「海賊って何だ」という議論をしていて、大丈夫なのか」と民主党の安全保障を不安視する声が出た」と産経新聞が報じた。
アメリカ同時多発テロに関連する騒動
藤田は第169回国会外交防衛委員会において、アメリカ同時多発テロに関して、『九・一一に疑問を呈する発言』(アメリカ同時多発テロ事件陰謀説を参照)などの資料を配布して、政府の認識を追及した。この答弁の中で、高村正彦外務大臣が「国連においても九・一一というのは、まさにそういういわゆる謀略によって何かアメリカが自作自演でやったというふうには全くとらえられていないわけでありますし…」と発言し、石場国防大臣が「私は、日本政府としては今外務大臣がおっしゃったとおりであります。私自身そういうものをまた時間があればよくきちんと検証してみたいなと思います」と同調すると、藤田は「私は謀略とも自作自演とも言っておりませんが、そういう表明があったということは、アメリカの謀略、自作自演ということの潜在意識があるのでは」と述べて討論を締めくくった。
2008年1月24日、週刊文春が『「9・11」陰謀説をブチあげた民主 藤田幸久に「あの人ダイジョブ?」』と記事にすると、藤田は『私は誰かの陰謀などと言及したことはありません。2008年4月24日の参議院外交防衛委員会での私の質問に対し、石破防衛大臣が陰謀論とか言う言葉を用いているのです。』と反論した(実際に「陰謀論」という単語を使ったのは高村正彦外務大臣)。
毎日新聞客員編集委員の岩見隆夫は、「藤田質問(アメリカ同時多発テロ事件陰謀説)はまったく異なる二通りの反応があった。一つは、「あの人ダイジョウブ?」の見出しで報じたように、荒唐無稽扱い。もう一つは、藤田さんのもとへの激励メールだった。日本と違って、欧米の有力者たちは9.11への疑念について、おおっぴらに明快に発言している。」と述べ、2008年4月に藤田が著した「9.11テロ疑惑・国会追及―オバマ米国は変われるか?」の出版記念会で藤田と対談している。
2008年10月22日参議院本会議で、河村建夫官房長官に、9.11事件で亡くなった日本人24人やその家族に対する支援を要請したのに対し、河村長官は、海外でテロ被害に遭った邦人について、国内の犯罪被害者と同じ救済措置を受けられないか、検討するよう指示を出した[2008年10月22日参議院本会議]
kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=26952&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=9&DOC_ID=5125&DPAGE=2&DTOTAL=37&DPOS=37&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=27419。
2010年3月8日付ワシントンポスト社説は、藤田がワシントンポスト紙による米同時多発テロの取材に対して『テロリストの犯行かどうかに疑問を挟んだ』『世界貿易センタービルの倒壊が(飛行機の衝突による)火災ではなく、起爆装置で起きた可能性がある』などと発言し、「株取引のもうけを狙った陰謀」の可能性を提起したことについて「こうした正気を失った過激派の空想に影響されやすい人物が、世界第2位の経済力を誇りにしている国の統治機関の中で重要な地位を占めている」「突拍子もなく、いい加減で、偽りがあり、まじめな議論に値しない」と酷評し、鳩山由紀夫総理大臣がこれら発言を容認すれば日米外交問題に発展すると警告した。
藤田はワシントンポスト紙に対して、「陰謀説とは一言も言っていない。発言を歪曲されている」と反論した。藤田はワシントンポスト紙の「編集者への手紙」にその反論を英文で投書、同紙は3月13日付で藤田の反論と第2次大戦中に日本軍の捕虜となった元米兵士が書いた藤田を擁護する文章を「日本の政治家に関する扇動的で不公平な見方」との見出しで掲載した[ "An ‘inflammatory' and partial view of a Japanese statesman." ''The Washington Post'', March 13, 2010. Accessed November 1, 2010. http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/03/12/AR2010031204085.html]
日本語訳
「日本のステーツマンに関する、扇動的で、不公平な見方」
私は、3月8日付の社説『日本における有毒な思想』の誤った立場の訂正を求めます。
まず初めに、私は、記述された参議院外交委員長ではなく、国際・地球温暖化問題に関する調査会という常任ではない調査会の、(長ではなく)6名の理事の1人です。 また民主党の国際局長は、貴記者が指摘したような、政策に責任を持つ職務でもありません。さらに、私は事前に合意していたインタビューのテーマである日本の移民政策について、私個人の立場で答えることに同意しており、記者もまた、それが党あるいは政府の立場ではなく私個人としての見解であることを了解していました。記者が、インタビュー後の雑談をこのような扇動的な形で掲載したことは、迷惑なことです。
何よりも、私の見解が、アメリカ合衆国への「深い不信感」を現し、わが党(民主党)と鳩山政権が「反米感情を反映している」という主張に対して強く抗議します。私は、米国の友人がたくさんおり、また何十年にもわたり二国間の掛け橋となるよう努めてきました。私は「陰謀」といったことを全く述べていないにも拘らず、「有毒な思想」、「陰謀論」、「知的ないんちき」、「狂った偏向的分子」、そして「向こう見ずで、事実を歪曲する」と描写して、私の信用を損ねたことに対し、謝罪を求めます。
(藤田幸久参議院議員)
私は、日本の藤田幸久氏に関するワシントン・ポストの社説を読んで驚きました。描かれた参議院議員の姿は私を悩ませました。しかし、それは話の全てではありません。藤田氏は、この65年間も元捕虜を苦しめてきた問題を解決して欲しいという私の訴えを聴いて下さった数少ない日本人の一人です。2008年1月に私は彼に日本の「平和友好交流計画」のことを話しました。この計画で日本政府は、これまでに1400万ドルを費やして1200名の元捕虜やその家族を日本に招いて和解を促進しました。藤田氏は、日本がこの計画からアメリカ人元捕虜を除外してきたことを知って当惑しました。彼はこの不正を正すことを約束しました。間もなく、藤田氏の粘り強く静かな努力を通して、日本政府は高齢となっている少人数のアメリカの元捕虜たちを日本に招くようです。この計画を拡大するいかなる試みも、彼の努力から来ることに疑いはありません。ワシントン・ポストの編集委員は藤田氏の話の一部を述べたに過ぎません。藤田氏の優れた仕事を見過ごしたことは残念なことです。
レスター・テニー(「バターン死の行進」生存者。バターン・コレヒドールのアメリカ守備隊元司令官)
。執筆した元米兵士はフィリピンでの「バターン死の行進」における捕虜で、米軍捕虜問題での藤田の活動を評価しているが、9.11問題に関する藤田の発言を直接擁護しているわけではない。
2010年3月9日、ワシントンポスト紙は「社説には歪曲や誤認はなく、訂正の必要はなにもない」と反論した。同誌は記事の根拠として『自身が東京で3月はじめに藤田議員にインタビューした際の発言』『藤田議員が出版した本での主張』『藤田議員のインターネットなどでの主張』の3点を挙げている。
民主党内ではワシントンポストの報道を受け、「日米関係は微妙であり、言動は慎重に」と総務委員長から口頭による“注意”を受けた。また、鳩山首相は「藤田議員の個人的な見解であって、党の見解でもないし、ましてや政府の見解でもない」と発言した。
なお、藤田幸久ブログでは2008年6月9日の記事として、数名の民主党関係者とともにブラジル人自称予言者ジュセリーノ・ダ・ルースと夕食をともにしたこと、彼から今後の自然災害や9.11に関する予言などを聞いたことを書き記し、藤田とジュセリーノが握手をしている写真が掲載されていたが、ワシントンポストの報道があった直後にブログから削除されてしまった。
尖閣諸島問題
2010年9月の尖閣諸島沖における中国漁船衝突事件を受け、10月9日、超党派の国家主権と国益を守るために行動する議員連盟の一員として、原口一博元総務大臣、岩屋毅・柿沢未途両衆議院議員と共に小型セスナ機で尖閣諸島を上空から視察。その後、中山義隆石垣市長や石垣海上保安本部、漁業関係者などと意見交換を行った。
* 「9.11テロ疑惑国会追及 オバマ米国は変われるか」(編著、クラブハウス2009年)
* 「国連と地球市民社会の新しい地平」(共著、東進堂2006年)
* 「政治家になりたくなかった政治家 NGOが政治を変える(ジャパンタイムズ2003年)
* 「宗教が語る世界の平和」(編著、PHP研究所1991年)
* 「日本の進路を決めた 10年」(翻訳書、ジャパンタイムズ1990年)
* 「ソ連の反体制派たち」(翻訳書、サイマル出版会1981年)
* 「内に強権政治、外に覇権主義を加速化するロシア」(世界週報2006年10月)
* 「内に強権、外に大国のロシア」(毎日新聞「発言席」2006年9月)
* 「Prime Minister Kishi's Diplomacy of Reconciliantion」(Japanecho2006年8月)
* 「生かされない災害支援の教訓」(世界週報2006年8月)
* 「岸信介・アジア和解外交の検証」(中央公論2006年6月)
* 「インド洋大津波とパキスタン大地震の現場から」(世界週報2006年1月)
* 「NGO外交が紛争解決の新たな担い手に」(改革者2002年6月)
* 「報復の循環に代わる和解の循環」(世界と議会2001年11月)
* 「戦後補償 米捕虜訴訟の政治的解決を」(朝日新聞「私の視点」2001年9月)
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